よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

駅前の騒音

前回母の葬儀で休んだので、今日は約一か月ぶりのピアノのレッスンだ。市内電車(豊橋の名物の一つの路面電車)に乗るため豊橋駅に出ると、駅前で某政党が演説をしていた。

その演説が、内容はともかく、声が問題だった。甲高い声の女性が、頑張って張り上げるものだからキンキンしてしまっている。乗り物利用のために通過するだけでも不快だったので、ずっと聞こえて来てしまう駅員さんは気の毒だと思った。

私も少し高い方なので、音訳をしているとき低めのまろやかな声の人が羨ましかった。音訳図書はおそらく利用者の方たちは長時間続けて聞くことが多いと思うので、高い声では疲れるだろうと思う。なるべく低めの声でするようにしたけれど、音訳というのは声の幅を利用して読み分けるという技術を使うため、高い部分を使わないということは、音訳処理がはっきりせず、聞きにくい作品になってしまう恐れもあるのだ。

せっかく多くの人に耳を傾けてもらうための選挙演説なのに、騒音になってしまっていたのでは逆効果でしかない。いっぽう、甲高くはないものの何を言っているのか内容がさっぱりわからない人もいる。音訳などやっていたものだから、どうしても気になって、注意してあげたくなってしまうことがある。人に聞いてもらおうと思うのなら、やはりどう話したら感じが良いか、技術を学ぶべきだと思う。発声や話し方の基本を少し勉強するだけでも、随分違ってくるのだから。



まあ、そもそも私は街頭演説も選挙カーもポスターも、無駄でしかないと思っているのだけれど。