よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

重松清の描く阿久悠『星をつくった男』

重松さんが阿久悠さんをモデルに書いた小説だと思って手に取ったが、ノンフィクションの評伝だった。書かれる阿久さんという人間も魅力的なのだろうが、やはり重松さんの筆力に負うところも非常に大きく、素晴らしい人物評論であり時代評論になっている。


8歳で終戦を迎えた阿久さんにとっての戦後は、貧しさにいきなりアメリカ、チョコレートがなだれ込んだ。戦前の豊かさを知っていて、苦しい戦後を味わった世代とは微妙に違うと言う。また父親が国家を体現する職業である警官だったため、墨ぬり教科書とともに、父親まで喪失するのに似た敗戦の経験が阿久さんの根源にあった。


1970年代から80年代にかけて、ヒット曲を機関銃のように放ち続けた作詞家阿久悠を、生い立ちや彼の作った歌詞、著作の一節などを絡めながら書き、相棒だった作曲家や周囲のスタッフ、楽曲を歌った歌手へのインタビューなどを交えて、見事にやせ我慢のダンディズムの人、阿久悠を描き出している。

阿久悠を語ることが音楽界を語ることになり、それ以上に時代を、社会を、語ることになっている。優れた人物評伝が、優れた社会文化批評になっている。私たちは阿久悠という不世出の作詞家を失うと同時に、歌のある幸せな時代をも失ったのだと、胸の締め付けられる思いで読み進んだ。

オークマンの出現で音楽は一人で消費するものになり、CDになって音楽はデータ、何メガバイトという無機質な数字になってしまったという鋭い指摘。さらにアイポッドの発明で、音楽はダウンロードされるものになり、形すら失ってしまった。こうした変化の中で、私たちは巷に流れる流行歌を聞くともなく聞いてふとその時の心の琴線に響く、という体験ができにくくなってしまった・・・。

紅白歌合戦がつまらなくなってしまったのには、こういうところにも原因があるのかもしれない。


ピンクレディーが全盛のころ、私は必ずしも彼女たちの売り方が好きではなかった。「懺悔の値打ちもない」とか「どうにもとまらない」とか他にもたくさん阿久悠さんの作品で好きでないものもある。「スター誕生」というオーディション番組とそこからのアイドルの作り方などは、現在のAKBにつながるものだと思う。それでもこの本を読むと、阿久悠という人間に強烈な魅力を感じてしまう。

5000曲という膨大な作品と輝かしい受賞歴、超人的な仕事ぶり、映画「瀬戸内少年野球団」の成功などなど、並外れた業績を上げながら、ふるさと淡路島の同級生たちが同窓会の折に見たヒットメーカー阿久悠は、ちょっと情けなかったりする。やせ我慢のキザを通しながら、なんだかちょっぴり通しきれない愛すべき人に感じられる。


ノンフィクションを読んでいるとは思えないほど、全編が詩情に満ち、それでいて鋭く、とても豊かな読書の時間を過ごした。それにしても。失ってしまった人を、時代を、惜しむ・・・。