よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

猫が残念!『女系の総督』あとちょっと言葉・・・

藤田宜永さんの作品。この方は小池真理子さんのご主人なのですね。この本を書くヒントになったのもその奥様(ふたり姉妹)なのだとか。



この著者の作品を読むのは初めてで、何となく名前の感じから堅そうなイメージだったので、へえ、こういう柔らかなものを書く人なのか、と少々意外だった。母親を筆頭に姉と妹、妻、3人の娘、姪、不倫相手となる女流作家と、主だった登場人物として8人の女性が出てくる。そして飼い猫までが姉妹猫、と徹底的に女系の家族。人間の女性たちはそれぞれがなかなか細かく描き分けられているのだけれど、2匹の猫だけは存在感が薄く、猫好きにとっては少々不満が残った。せっかく猫を飼っている設定にし、その猫までもが主人公を軽んじるというのなら、もう少し猫の描写が欲しかった。

それにしても女ばかりの世界の男とはかくも大変なものか・・・と、自分も女ながら改めて思う。そしてそれをまとめる総督たる崇徳(ほんらいはムネノリだが、親しい人にはソウトクと呼ばれている)氏が実にできた人間で、誰にもつかず離れずけれども肝心なところはしっかり締める人なので、この女系家族は種々問題をはらみながらも結構うまくまとまっている。

が、しかし。これほどの人物でもエキセントリックな女性作家に振り回されて、道を踏み外してしまうのだから、男って、もう・・・である。もっとも、これで踏みとどまってはきれいごと過ぎて小説にはならないだろうが。

自分の間違いから姉や妹夫婦の問題、母親の認知症、預かっている姪の素行、長女との確執、妻の病気と隠された過去の問題・・・と次から次へと降りかかる問題に女系の総督としてどう対処するのか。こじれた長女との溝は埋められるのか。ところどころユーモアを含んだ語り口で面白く読ませてくれた。


けれどもこの藤田氏。近頃新聞紙上やネットの日本語に関するサイトでも良く取り上げられる「煮詰まる」という言葉を、典型的な勘違いの使い方をしている。「現代ビジネス」のこの著書に関するインタビュー記事の中でも同じ使い方をしている。「煮詰まる」と「行き詰る」が混同されて生まれたのであろうこの「煮詰まる」のマイナスの用法が、今後はやはり主流になって行ってしまうのだろうか。

重箱の隅をつつくようだけれど、「友だちたち」という語にも抵抗を感じた。どうしても「たち」で複数を強調したければ、なぜ「友人たち」としなかったのだろう。「友だちたち」という語感にはどうしても引っかかってしまう。

主人公の妻の死について書いた部分で「享年四十三歳」とあるが、これも正しくは「四十三」で「享年」を付けたら「歳」は付けない。なあんて、偉そうに言っているが、私も音訳ボランティアの勉強会の中で知ったことではあるけれど。これはニュースやドキュメンタリー番組のナレーションなどでもよく耳にする間違いだ。

藤田氏は1950年生まれ、私より一つ年上だ。この世代の作家でもこれだから、まして一般の人では、いい年の大人たちでも日本語がかなり怪しいことになっていることは想像に難くない。

ちきりんさんが最新のエントリ「本が売れると思われたら・・・こうなります」で、ご自身の体験を紹介している。現代の出版界の在りようがとても良く分かる内容だ。かくして本屋さんが「本」というものをどんどん消耗品にし、劣化させていくのだなと思う。書籍を軽く扱うということは、言葉を軽く扱うことだ。本の世界でそうであるなら、テレビやネットの世界は推して知るべし。


ああ、こんなことばかり書いている自分にも嫌になって来る。小言幸兵衛さん。揚げ足取り・・・。
でも、でも、気になってしまうのだもの。