よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

スマホが人助け

来月初めに市内の小学校での平和教育出前授業があるため、そのリハーサルに出かけた。今日は一般の会員が4人と青年部の大学生が男女一人ずつ、計6人と出席者は少な目だった。今回はユネスコの紹介や豊橋公園の戦争遺跡についての説明を、その大学生たちがやってくれるようだ(前回の打ち合せを私は母の件で欠席した)。

順調にリハーサルもでき学生たちが帰った後、大人4人で、戦争の体験談を話していただく方の高齢化の問題や、今度の衆院選のことなどについて雑談。野党が頼りない状態だけれど、とにかく安倍政権にノー!の意思表示をしなくちゃね・・・などと話すうち、今夜は演劇鑑賞会の観劇がある方が時間切れで散会となった。


帰り道、渥美線の線路沿いの道を歩いていると、向かい側から来た自転車の若者が「ちょっとすみません」と私に声を掛けて来た。「○○公園にはどう行けばいいですか」と聞く。自慢じゃないが私は天才的ともいえる方向音痴だ。知っている場所ですぐ近くならまだしも、その公園は、○○という地名からして現在地とはだいぶ離れている。離れているということだけは分かるが、方角も定かならずましてどう行くかなど分かる訳がない。

そこで、「調べてみる?」とスマートフォンを取り出した。「あっ、いいですか?自分の充電が切れちゃってて・・・」と破顔。「人生ってえてしてそういうものよね。必要な時に限って使えない。どうぞどうぞ」とスマホを渡した。慣れない私がモタモタ検索するより、自分でやってもらった方が話は早い。しばらく画面をちょんちょんやっていたかと思うと、「分かりました!」と嬉しそうに返してよこした。「良かったわ、お役に立てて」と私も嬉しかった。

母を送ってしまったら、もうほとんどヤフーからのニュースのメールが入るだけで、暇にしていた私のスマートフォンも、久々に「お仕事」をして嬉しかったことだろう。



という訳で、私が使ってお助けしたのではないので、スマホ「で」人助け、ではなく、スマホ「が」人助け!なのだ。コレデイイノダ