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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

寝物語は男女間限定

ことば

少し前に読んだ本だけれど、自分の祖父が立志伝中の人物であることを母親から聞かされて知った、ということを表現するのに、「母の冴子から、寝物語に聞かされた部分が多い」と書かれていてびっくりした。「寝物語」とは男女が床の中で交わす睦言ではないか。私の記憶違いかと思い辞書サイトで調べるも、やはり間違いない。

江戸川乱歩賞受賞作だ。これほどの間違いを、編集者もチェックしないのだろうか。能力面でできないのだろうか。まさか。1959年生まれの作家であり、それまでもずっとコピーライターをしていた方のようである。この作品の執筆時は40歳くらいだろうか。さすがにこの他にはさほど気になる言葉や表現はなかったが、それだけに残念でもあった。ストーリーも結構興味深かったけれど、惜しむらくは主要登場人物の造形が浅くいまひとつ惹きつける力に欠ける。かえって脇の人物の方が魅力的に描けていた。

篠田節子さんの『薄暮』。たぐいまれな才能を持ちながら中央画壇に出ようとしなかった、ひとりの「閉じられた画家」に思いがけないことから脚光が当たり、そのことで周囲の人間に次第に狂いが生じていく。ミステリー仕立て、エキセントリックで美貌の画家の妻を始め登場人物それぞれの存在感などでグイグイと引きつけて読み進ませる。

ところが、意外な伏兵に出会う。舞台は新潟県のある地方で、そこはこれと言って何も喧伝する物もないが、唯一その天才画家がいた、ということを言う部分で、「こんな立派な画家を輩出しているんじゃないかということに、みんな気づいてくれたんです」と書いていた。私がこれまで何度も言って来た「輩出」の誤用にこんなところで出くわしてしまった。

こういうのにひとたび気付いてしまうと、ついつい文章が気になって話に集中するのが難しくなる。私の悪い癖。他にも地方新聞の見出しという設定で、「有名画家の油絵が大量に発見」という表現が出てくる。Yahooトピックの見出しでちょくちょく見かける言い回しだ。ウェブサイトくらいなら致し方ないかとも思うけれど、篠田さんともあろうお方の小説中でお目にかかるとは・・・。助詞「が」を入れるなら「発見される」にして欲しいし、どうしても短くする必要があれば、むしろ「が」を抜いて欲しい。こんなことが気になる方がおかしいのだろうか。

主人公の雑誌編集者がある人物にインタビューするシーンで、画家の妻に会ったことがあるかどうか聞くのに、「宮嶋さんの奥さんにお会いしたことは?」と、これまたお約束のように典型的な間違いを犯す。近頃はキレ者のはずの杉下右京さん(ご存じ「相棒」)もこんな言い方をしちゃいますが、これは聞いている相手に失礼。「お会いになったことは?」でなくては・・・。

現代ではかえってこの方が「リアル」だからなどとは仰らないでいただきたい。言葉を生業とする人たちが言葉を大切にしなかったら、ますます日本語は大変なことになっていってしまう。いえ、もう手が付けられない状態になりつつあるのではあるが・・・。