よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

『世界の果ての通学路』輝く子供の瞳

見たいと思いながら見られずにいた映画を、思いがけなく見ることができた。平和教育出前授業で交流のある小学校が、ユネスコスクールの登録をしたことで県から助成金を受け、せっかくだから記念になる使い方をしたいと、映画鑑賞会を催され、私たち豊橋ユネスコ協会もご招待を受けたのだ。

このドキュメンタリー映画は今年の春公開された作品で、私はぜひ見たいと思ったのだけれどわが市では上映館がなく、名古屋まで行かねばならなかった。長時間家を空けなければならないし、名古屋に出かけてまでは・・・と諦めた。ところがこの地味な映画が各地で評判をとり、夏に一日だけだが豊橋シネコンでも上映されることになった。ところがその時も私は見ることができず、とても残念に思っていたので、今日はいそいそと出かけた。

この映画をご覧になった校長先生がぜひ子供たちにも見せたいと思われ、実現した企画だそうだ。吹き替え版がなく字幕なので、低学年は諦めて高学年と希望する保護者を対象とされたとのこと。白っぽい画面に白い文字で半分くらい字幕は読めなかったけれど、画面を見ていればほぼわかる内容なのでそれほど問題はなかったが、もっとしっかり読めたらさらに感動は深まったかも知れない。

紹介されるのは4つの国の子供たちの通学風景。

まずケニアのジャクソンとサロメの兄妹は11歳と6歳。15キロの道のりを2時間(!)かけて通学する。朝ジャクソンが地面に穴を掘って湧き出してくる水を詰めたプラスチックのボトルとバッグを持って、途中象と遭遇する危険さえある道なき道を半分走るようにしてふたりは行く。今日は僕が国旗を掲げる当番なんだから早く行かなくちゃ、サロメ急げ!と。

アルゼンチンのカルロスも11歳。こちらも5歳年下の妹を連れて、パタゴニアの山々や平原の18キロの道のりを馬に乗って1時間半かけて通学する。途中馬のひずめに石ころが挟まったのを取り除いたり、神様か何かをまつった祠に赤いリボンと祈りをささげたりしながら。

モロッコの12歳の少女ザヒラは山がちな22キロ4時間の道のりを友人と3人で行く。月曜日の朝登校して一週間寄宿生活をし、金曜の夕方またその険しい道をたどって家に帰る。友人の一人が途中足首をくじいて歩くのが大変になると、時々通りかかる車を停めて乗せてくれるよう頼む。なかなか承知してくれる車がなくやっと何台目かに、ヤギをいっぱい乗せた荷台に乗せてもらい無事学校に着く。

インドのサミュエルは13歳。足に障害があって歩けないため車いすを使っている。4キロの通学路を弟たちが一人は車いすを引っ張りひとりは押して、1時間半かけて行く。途中故障した大きなトラックが道をふさいでいたり、近道しようと渡った川で思うように車いすが動かず難儀したり、車いすとは名ばかりのオンボロ車はタイヤが外れてしまったりする。トラックの所では運転手たちがサミュエルを車いすごと運んでくれ、タイヤは修理屋のお爺さんが直してくれる。彼らがお金を持っていたようには思えないので、多分タダで。困難の多いところでは大人たちも優しい。お互いさま、助け合わなければ暮らしていけないからだろうか。


彼らがしているのは通学と言うより旅だ。ときには命の危険すらあるかも知れない。それでもジャクソンもカルロスもザヒラもサミュエルも、みんな目をキラキラさせて学校を目指す。子供達はみんなこれほどしてまでも学びたいのだ。パイロットになって世界を空から眺めたい。医者になって病気に苦しむ子供を救いたい。彼らの語る将来のなんと輝きに満ちていること。

そして苛酷ともいえる通学の道に子供を送り出す親たち。「神のご加護を」と願い、「自分の頃は学校になど行けなかった、学べるのは幸せだ。しっかり勉強しておいで」と子や孫を送り出す。貧しいけれどみな愛に溢れている。


私たちの暮らす便利でモノのあふれる社会と彼らの暮らす素朴な社会。どちらが幸せで、どちらが豊かなのだろう。あんなにもキラキラと瞳を輝かせて、溢れる欲求でむさぼるように学習に向かう子供達。それを見守る穏やかで深い大人たちの愛情。私たちが失くしてしまったもの、あるいは失くしつつある大切なものが、この映画の中にはあふれていた。


子供は希望。あらためて深く深くそう感じた。見終わって何時間もたった今も、感動が冷めやらない。