よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

女心と秋の空と言うけれど

私はずっと「女心と秋の空」という言葉が不思議であった。私が生まれ育ったこの地方(愛知県)では秋というのは比較的気持ちの良い天候が続き、それほど変わりやすいという印象がなかったから、なぜ変わりやすいことのたとえに秋の天候を持ち出したのか納得がいかなかった。

ところが二児の母となり、東京での仕事に挫折した夫が故郷に戻ることを決め、思いがけなく津軽の地に暮らすことになって、積年の疑問が氷解することになった。

北国の秋は、「1日の中に全天候が入る」と言っても誇張ではないくらいコロコロと天気が変わるのだ。晴れていると思うとにわかにかき曇って雨が落ちてきたり、ときにみぞれになったり、かと思うとまた突然サーッと青空に戻り(こうした時によく虹も出る)・・・といった塩梅だ。そんな日を繰り返しながら、やがてみぞれは雪に変わっていく。

そうか、「女心と秋の空」という言葉は北国の人が考え出した表現に違いない、と私は深く納得した。


しかし、現代ではこの言葉は女性差別でさわりがあるのか、あまり耳にも目にもしなくなった。だいたい女性自体が強く頼もしくなり、この言葉と現実が合わなくもなってきているかもしれない。「戦後女性と靴下は強くなった」という言葉もしきりに言われたものだけれど、いまや女性が強いのは当たり前になってしまったし、戦後も遠くなった今、この言葉ももはや死語になってしまった。

テレビコマーシャルを見ていると、女性が大股でさっそうと歩き、飲み物をボトルから直接カーッと飲んでいるような姿が目につく。言葉遣いも音声を変える処理を施せば男性か女性か分からない。いや、たまに姿かたちを見、声を聞いても、判別しがたいときもある。「女は女らしく」などという言葉に縛られないで、自由に生きられる時代になった。


けれどもまだDVの被害者は圧倒的に女性が多いし、ストーカーや性的暴力の被害者も断然女性だ。男性の職業とされた場所にもどんどん女性が進出してはいるが、肉体面体力面の性差は変わらないから、暴力の前では女性は不利に決まっている。

これからまた20年とか30年とか経ったとき、女性はどうなっているのだろう。また、男性にも変化があるのだろうか。政治家、法律家、官僚、財界といった、社会の中核となる人材の男女比は同じくらいになっているだろうか。

私は原始的な人間で、どうしても人類も生物のひとつと考えてしまうので、すべて男女が同じになってしまうのが幸せとは思えないのだけれど、とにかく選択肢が増え、誰もが社会的制約や性差による束縛を受けず、自由に生き方を選び取っていける社会に向かっていくのだろう。自由であるということはなかなか難しいことでもあるとは思うけれど・・・。


女心は秋の空にたとえられて、「変わりやすいもの」とされていたんだね、なんて懐かしむようになるのだろう。



二匹が寄り添って寝るようになれば、秋が深まって来たということ。