よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

憲法と沖縄の未来ー大田元沖縄県知事講演会

今月初めに沖縄の苦難を描いた映画『標的の村』を観に行ったときに、今日の催しを知り、会場でチケットも販売していたので購入しておいた。主催は「金子勝憲法講座実行委員会&愛知大学九条の会」だ。大田氏の講演のあと、第二部は憲法学者金子勝氏との対談という構成だった。

大田元沖縄県知事は御年89歳だそうだけれど、全くそうと感じさせないよどみない語り口で、さまざまな細かなデータの数字までポンポンと上げながら、戦後から今日までの沖縄の窮状をお話しになった。

日本全体の0.6パーセントにすぎない沖縄にいかに多くのアメリカ軍基地があるかなどは今までもあちこちで語られてきたが、戦争中、沖縄の人が沖縄の言葉を話すことを日本軍に禁止され、標準語など話せないお年寄りが土地の言葉を使うとスパイ容疑ということになって処罰された、などという話は今日初めて聞いた。

沖縄は戦争の時に日本軍ではなくアメリカ軍に救われたため、戦後アメリカの統治下にある時も親米感情が強かったのだそうだ。言葉にしてもアメリカ軍は方言を禁止した日本軍と対照的に、わざわざ沖縄方言の分かる日系の人材を大勢連れてくる配慮があったと言う。

1949年に中国が共産主義の国になり、1950年に朝鮮戦争が勃発してにわかに沖縄の基地としての重要性が増し、住民から土地を取り上げて強引に基地を拡大させた頃から軋轢が生じるようになったのだそうだ。けれども、大田氏は、現在でもアメリカの著名な学者たちは沖縄に理解を寄せて支援活動をする人も多いと言い、むしろ戦時からずっと沖縄を継子扱いで全く真剣に基地問題を解決する気持ちの見えない日本政府や、自分たちさえよければいいといった無関心さを感じさせる日本国民のほうに、強い憤りを感じているようだった。


また憲法について大田氏は、戦争で母国日本への不信感が生まれ生きる意味が見いだせなくなっていたときに、日本国憲法を知って生きる希望が持てるようになったと話した。しかし沖縄はまだ日本ではなく、その素晴らしい憲法は自分たちのものではなかったため、ずっと憧れの対象だった。憲法は光だった、と言う。その大切な憲法を今はまた日本のかなりの人たちが捨て去ろうとしている、と憤っていらした。


1時間半ほどの講演を、長崎の永井隆博士の『いとし子よ』の一節を読み上げて締めくくる、情熱のほとばしる講演だった。惜しむらくは思いがあふれてたくさんのことを詰め込み過ぎ、聴く側はいくぶん消化不良を起こしそうだった。もう少し取捨選択し伝えることを厳選し、重要なことだけでも、もっとはっきりゆっくりを意識して話してくださると、より効果的に伝わったのではないかと思う。必死に聴き取り、情報を頭の中に整理して入れていくことに非常なエネルギーを要し、かなり疲れた。



そして、第二部の対談になった途端、89歳という年齢が露呈してしまったという感が強い。金子氏が質問することにことごとく的を外して答える。回答がまたミニ講演となってしまう・・・という状態で、終始話はかみ合わないまま。年齢的なものも考慮して、前半の講演だけでも良かったのではないかと思う。第二部は大田氏にも酷だったし、金子氏も相手に対する配慮が足りない人のような印象を聴衆に与えてしまい、どちらにとってもマイナスにしかならなかった。これは主催者側の企画の失敗と言えるだろう。

それにしても、沖縄では近頃インテリ(なんか懐かしい言葉だけど大田氏の使った言葉をそのまま使用する)の若い女性たちも含む多くの人たちの間で、独立の機運が高まっているという。この間のスコットランド住民投票は、かなりの親近感を抱きながら見守ったそうだ。もう国に期待しても無駄だからいっそ独立してしまおうと。再び血を流すような騒動も起きるのではないかと、何度も口にしていらした。長い間ひたすら寛容な心で本土の犠牲になって耐えて来た沖縄の人たちに、独立するしかないのかというまでの諦念を抱かせる私たち。ひとりひとり、何かするべきこと、何かできることがあるのではないか?なんとかしたい!手を離させてはいけない!と切に思う。


大田氏が紹介した沖縄のことわざ。

人(ちゅ)に殺(くる)さってぃん寝(に)んだりーしが

人(ちゅ)殺(くる)ちぇー寝(に)んだらん

人に痛めつけられても眠れるけれど、人を痛めつけたら眠れない、という意味だそうだ。
沖縄の人のやさしさがとてもよく表されている。
私たちはこのやさしさに甘え過ぎてはいけない。(もういいだけ甘えてしまって来たが)