よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

『流れる星は生きている』藤原てい著

今更ではあるが、『国家の品格』の藤原正彦さんの母上の著書。夫の仕事について渡った満州で終戦を迎え、夫は使命感から現地に残ることを選ぶため、女一人で幼児2人と乳飲み子を抱えて引き揚げた体験をもとに綴った物語だ。

よくぞ3人の子を無事に連れ帰ってくれたものだと、ただただ感心感謝するばかり。ことに、正彦さんは逃避行の早い時点でぬかるみに靴を取られてしまい、道なき道を裸足で歩き続け足は傷だらけおまけに栄養失調、ジフテリア感染・・・とまさに満身創痍だったようだ。ここで正彦さんが命を落としていたら、優秀な数学者を失い、素晴らしいエッセイストを失い、『国家の品格』という著書もこの世に存在しなかった訳で、大変な損失だったと思う。

乳飲み子だった咲子さんも、ほとんど乳は出ない、ろくに飲ませるものはないという中で1年余を生き抜いたとは、よほど生命力の強いお子さんだったのだろう。いや、それ以上にやはり母上藤原ていさんが、並々ならぬ強靭な意志の持ち主だったに違いない。読んでいても私など「こんな大変な思いをするくらいならいっそ死んだ方がましなのに」と何度思ったことか知れない。

著者は私の母とほぼ同じ年なのだけれど、同時代に生きても戦争の時にどこにいたかでこれほど運命が違ってしまうのかと改めて感じた。運命の歯車がどこかでちょっとずれていたら、栄養失調で腹をふくらませジフテリアにかかっていたのは私の姉であり、兄であったかも知れないのだ。もう二度とこんな辛い子育ての時代があってはならない。

著者の場合は、日本に帰り着くまでは本当に辛酸を舐めたけれど、それでも日本に待ってくれている家族がいたという点では恵まれていた。幽鬼のようになってでも、とにかくふる里諏訪に着いたとき、大喜びの親兄弟に迎えられ、白いごはんや気持ちの良いお風呂、快適な寝床が待っていた。けれども故郷に帰り着いても待つ家族はなく、住むところにも不自由する人だって少なくはなかったことだろう。そこからもうひとつのサバイバルが始まった方たちもいたのだ。

そういう方々の努力の中で、日本の今日の繁栄が築かれてきた。そうしたどん底や地獄を見た方たちの目に、いまの日本はどう映っているのだろうと私はよく考える。平和で豊かな、先輩方が望んでいたような国になっているだろうか。満足していらっしゃるだろうか。どうもそうではないような気がしてならない。

加害者としての反省も被害者としての悲しみも、忘れかけているのではないか。そもそもこの国に加害者としての反省があったかどうか・・・。戦争の世紀20世紀の後には、思いもかけないさらに複雑に憎しみや報復が渦を巻いて広がっていく世紀が始まってしまった。憎しみは憎しみしか生まない。力で押さえつければ更なる暴力を生むばかりだ。どうかどうか同じ人間同士、話し合い、譲り合い、分かり合う努力をしてほしいと願う。宗教や国民性で少々特異な日本人は、きっと西欧や中東とは一味違う、貴重な働きができると思う。よその国の後にくっついて、顔色を窺っているばかりではもったいない。先人たちにも申し訳ないと思う。