よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

ユネスコ活動と支援の難しさ

今日は豊橋ユネスコ協会の定例会だった。月に一度のペースなので今年度の第6回目になる。先月は豊川海軍工廠跡地の見学会に当てたので、会議形式では2か月振り。

今回のメインテーマは、世界寺子屋プロジェクトチームによるスタディツアーの報告だった。このチームはネパールの支援を考えていて、現地で本当に必要としている支援の形を探るため、今年2月に3人のメンバーが視察に行った。その際に撮影した映像を編集したDVDをプロジェクターで見せながら、これまで日本やドイツなどの支援でできた施設の現況などの説明があった。

日本政府のОDAでもよく批判されていることだけれど、やはりここでも建物は造ったけれど継続が難しく・・・というケースが少なくない。ライオンズクラブやソロプチミスト協会が造った施設が十分生かされていない。箱モノは造って終わりではない。維持費がかかり、スタッフも必要だ。それらが外国の援助が無くなっても、現地の力で継続して運営していけるかという視点が欠けている。

今回メンバーが回ったのは首都カトマンズの周辺だからか、それほど差し迫った困窮は感じられなかった。もちろん、せっかく造った施設が機能していないのはもったいないことだし、物質的に決して豊かではないであろうことも想像できるけれど、少なくとも日本から視察の人たちが来ると言えば、女性も子供も着飾って集まることができ、そして見る限りでは栄養状態も特に悪いようではなかった。

このプロジェクトが援助をする対象を選ぶ基準に「安全であること」「現地に信頼できるNPОなどの団体があること」というのを挙げていた。日々あちこちの紛争地域の過酷な状況に置かれた人々のニュースを目にしていると、その二つが揃っているのなら、あとは自分たちの足で立ち、前進していけばいいのでは?と思ってしまう。むしろ、辛くても冷たいようでも早めに自立を促さないと、依存体質を作ってしまいかねない。

安全が保障されず、信頼できる団体もない、そんな状況の所こそが外国の支援を必要とする地域であって、そうした苛酷な条件の下でも援助できるのでないなら、全く別の支援方法を考えた方がいいのではないかと思う。報告終了後の質疑応答の時に、メンバーの方たちには酷かもしれないけれど、思い切ってそう私は発言した。


30年近く昔になるが、丁度私の子供達と同じくらいの年齢のネパールの女の子のフォスターペアレントをしていたことがある。その子の住む村ではほとんどの子供達が家の重要な働き手であり、特に女の子は教育など必要でないとも考えられているため、学校に通えていない子が多いということだった。

月々の支援金ももちろん対象の子供の家に直接入るのではなく、現地の団体を通して子供たちのために使われるのだけれど、誕生日などにも決して直接品物を送ったりしない決まりだった。それがたとえノートや鉛筆だったとしても、それが届くことによって周りにいさかいが起こりかねないからということだった。決まりごとの中のその文言が強烈に印象に残った。それほど貧しいのだと。


けれども日々ニュースで目にする、爆撃や銃撃に怯え、傷つき、すべてを失って難民キャンプで暮らす人たちを思うと、少なくとも周囲で武器を持って争っている状態でないということだけでも救われると思う。争いも憎しみも無知から生まれ、大抵の問題は突き詰めれば「教育」という所に行きつくのだから、子供達がちゃんと学べる環境は何より大切だと思う。貧困から脱するためにも、やはり教育だ。

世界中の子供達が、平和な日常の中で、家族に愛され、安心して学校に通える日が早く来てほしい。どうしても外国の援助が必要な状況の所には、必要とする援助を届けなければいけないけれど、援助というのはとても難しい行為だ。それぞれの力に合わせ、身の丈に合った援助でなければ、ハコだけできて無駄に捨て置かれることになったり、依存する癖がついてかえって自立を妨げたりしてしまう。

私たちの会は、個人会員3000円(青年は半額)、法人会員20000円(ともに年会費)の会費収入が年間予算のほとんどという微力な民間団体だ。やれることにはおのずと限界がある。みな平和や教育について熱い心を持ってはいても、細かな考え方や方法論には違いもある人間の集まりだ。難しいけれど、見つめる未来は同じ方向を向いているのだから、話し合い、知恵を出し合い、力を合わせて、何とか少しでも意味ある活動ができるように努力していかなければ・・・と、このブログを書きつつ自分を励ましてもいる。