よんばば つれづれ

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君子は天下に先んじて憂え・・・

朝起きると、ゆうべから雨になったらしい。母鳩はどうしているか?当然、雨に濡れて抱卵している。私が枝を払わなければ、みっしり茂った葉に守られて、よほどの雨でない限り濡れることもなかっただろうにと思うと、心が痛む。

知らなければ、鳩を気に掛けることも、すまない思いをすることもなかった。知らぬが仏だった。


知ってしまうから気に掛かる、悩む、苦しむ。かつて、苦しいから新聞を読むのもテレビのニュースを見るのも止めたい、と思ったことがあった。世間の情報さえ入って来なければ、自分の身の回りには大した悩みもない。どんなに心が平安でいられることだろうと思った。

けれども今や新聞やテレビだけではない。インターネットによって、瞬時に世界中の情報が入って来てしまう。際限なく広がって行くようにすら思える各地の紛争、貧困や飢餓、難しい病気、虐待を受ける子ども、もの言えぬ動物の受難などなど。毎日毎日心がザワザワしたり、チクチクしたり、なかなか穏やかではいられない。


君子は天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに遅れて楽しむ、という言葉がある。このような情報化社会でなかった時代には、庶民は自分の周囲どれだけかの狭い世界で、身の回りに起きることのみを考えていれば良かった。君子と言われるような人は、先見性があったり、広い知識を持っていたりするばかりに、世間と一緒に呑気に楽しんではいられず、世の中のことや先々のことを心配したり悩んだりしたのだろう。

現代は庶民でも情報がたやすく手に入る時代になったとはいえ、よほど積極的に収集しなければ、隠されていたりバイアスのかかったものになったりする。その点、権力の座にある人たちは庶民より多くの情報を握っていると思うけれど、そういう人たちは、果たして「天下の憂いに先んじて憂え」ているだろうか。あ、権力者だからと言って必ずしも君子とはかぎらないか・・・。広島で土砂災害が起きた時も、首相はゴルフをなさっていたようだ。世間が夏休みを取っているんだから、首相だって夏休み。天下の楽しみと一緒に楽しむ権利、あるよねーってところか。



・・・などと、雨の中の母さん鳩を案じつつ、現代の君子はどこにいるのかと、思いが広がってしまった。



ここ数日の涼しさゆえか、姫リンゴがほんのり色づいた。
今年はたった一個しか実らなかった。
去年台風の大風で鉢がひっくり返り、
大地にまで伸ばした太い根が邪魔して起こすことができず、
やむなく枯れるのを覚悟で根を切ってしまった。
なのに枯れることなく踏ん張って今年も花を咲かせ、
ひとつとはいえ、実を付けてくれたのだから、
それだけで幸いとしよう。