よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

異常な降雨量

私の暮らしている地域では梅雨時からずっと、それほど雨は降らないが、今年の夏は日本各地でとても雨が多く、広島では大変な被害が出てしまった。

ちょっと気象庁のサイトでデータを見て改めてびっくりした。今日ニュースで目にした広島県の三入という地区は、8月に入って降水量ゼロの日は5日しかなかった。しかもその降水量がまた半端ではない。少し前に大きな被害が出ていた岐阜県の高山は、降水量ゼロの日が4日(観測機器の故障か1日はデータなし)だった。ここもまた1日の降水量が15日は48ミリ、16日が88ミリ、17日は232ミリ!と大変な数値だ。

岐阜県と私の住んでいる愛知県は隣なのだけれど、ここ豊橋市は8月に雨の降った日が6日のみ。しかもそのうち3日は5ミリ以下だ。なんという違いだろう。日本は小さな国だけれど、地形も気候も変化に富んでいる。


それにしても今回の広島の豪雨のニュースを見ていて思うのは、1時間に100ミリを超える雨量も尋常ではないけれど、テレビの画面に映る山裾に迫る住宅地は、いかにも危なっかしい。地盤ももろいと分かっていたようだし、付近は災害の危険地域にもなっていたようだ。それなのになぜ住宅地として売り出されたのだろう。画面で見る限り、みながみな先祖代々住んでいたというのでもなさそうな印象を受けた。

たとえ少々災害の危険性が高くても、それは必ず起こることではないし(実際よく地元の方がインタビューで、何十年も住んでいるがこんなことは初めて・・・とおっしゃる)、長いこと住み慣れた土地を離れるのはなかなか難しいものだろう。けれども新しく家を建てる、あるいは購入するのなら、なにもわざわざ危険度の高いところを選ぶことはない。そんな場所に物件さえなければ、あえてそこに住みたいと思う人もないだろう。

被災したところに新しそうな公営の住宅もあったけれど、役所が災害危険地区に指定しているところ(もしそうでないとしてもそのすぐ近く)になぜ建設したのだろう。土地取得が安上がりだったのか?でもこのような被害が出れば、結局大変な出費になってしまう。



一方で、最近各地の空き家率の高さが問題になっている。生活インフラが脆弱で不便な過疎地は別にしても、十分これからの居住に適した中古住宅もあるのではないだろうか。高度経済成長期にあちこちに建てられた巨大な団地も、高齢化や空き部屋の多さが問題になっている。暮らしやすく団地をダウンサイジングし、居住部分を快適で魅力的にリフォームすれば、新たに住みたい人も出てくるのではないか。

長年人が住み続けてきた安全な土地で、中古の家に家族で手を入れつつ暮らすというのも、ピカピカの新築の家に住むのとは違った楽しさがあると思う。もっと行政も中古住宅市場を活性化する知恵を絞るべきだし、マイホームを求める側ももっと発想の転換をしたらどうだろうか。中古という選択肢を入れれば、ローンの重さもだいぶ軽減される。その分、別なことに楽しみを見つけることもできるかもしれない。



こんなことを言っていても、被災した方々は、悪夢のような現実から逃げ出す訳にはいかない。この暑さと、相変わらず雨の多い天候の中で、片付けや生活の再建と取り組んでいかねばならない。いや、その前にまだまだ山からの水は不穏な勢いで流れ出している。さぞ心細い思いでいらっしゃることだろう。のんきにこのようなブログを綴っていることに申し訳なささえ感じる。

そしてそれにも増して、亡くなった方々は帰らない。幼い命も奪われている。自然の力の前に、人間はなんと無力なことか。大きな自然災害の起こるたびに腹立たしさを覚える。いまや一般人でも宇宙旅行をしようかという時代に、なぜ雨ひとつ思うようにコントロールできないか。なぜ土砂の下の人を助けるのに、人間がシャベルで掘るなどという原始的な救助法しかないのか・・・。



亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災された方々に一日も早く日常が戻ることを願います。手伝いに飛んで行けず、申し訳ありません。