よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

思い出話の花、そして社会のこと

今回は忙しくて休みが取れず帰省できないと言っていた長男一家が、急に「一晩だけだけど帰る」と言ってきて、昨日の夕方6時前に到着し、今日の3時過ぎには帰って行った。21時間ほどの滞在。まるで売れっ子タレントのようだ。

それでも、今年はもう年末まで会えないのかな?と思っていた孫たちに会えたので、忙しい中時間を割いて来てくれたことに感謝するばかり。嫁は明日仕事関係の講習があるそうだし、孫は来週火曜日から学校が始まるのに、まだ夏休みの宿題が終わっていないらしく、明日1日猛烈に頑張って終わらせ、明後日の最後の1日はのんびり過ごす予定だと言っていた。貴重な1日を潰させちゃったね。

私に負担をかけないため、夜は外食でも・・・と言ってくれたけれど、貴重な一晩なのでやっぱり家でノンビリがいいと思い、簡単な手作りにデパ地下ならぬ駅ビル惣菜(美味しいお惣菜屋さんが入っている)の助けを借りて夕飯を用意した。そうして恒例の「延々おしゃべり」。中学生になった孫は、ひとりでゲームやインターネットの動画などで楽しんでくれるので、短い時間だったけれど結構じっくり話をすることができた。

この間私が思いがけずテレビに出てしまった(出た、とも言えない程度だけど)話から、自然に戦争の話になった。嫁も、祖母がまだ幼子だった嫁の母親を連れて満州から命からがら引き上げたという体験をしていて、小さい頃からその時の苦労話を聞いて育っている。だから自分たち夫婦までは戦争の話はするけれど、子供にそれを伝えているかと考えると伝えていなくて、いけないなと思っていたと息子は言っていた。

間接体験者ばかりになると、よほど意識的に語り継ぎをしていかないと、そういうことになりがちだろうと思う。まだ孫はその満州から引き揚げて来たというひいおばあちゃんを知っているけれど、その次の世代はもう全く会ったことのない人の話になってしまう。そういうなかでどう自分にも関係のあることとして受け止めてもらうか、難しくなってくるだろう。


ゆうべは私が子供の頃に家庭内で聞いた戦争の体験談や、嫁のおばあちゃんの話、私が最近ユネスコの活動で知ったことなど、いろいろな戦争の話ができた。そうして幸い戦死を免れ生き残っても、残った人は多かれ少なかれ罪悪感を感じていて、この豊かな時代に苦しい思いをしながら生きていらした方も少なくないことを、平和や豊かさを享受している私たちは知る義務があることなど伝えることができた。


今日は今日で、息子の人間ドックの話から医療の話になって、若い間は健康診断で早期に病気を発見する必要もあるかも知れないが、子供が一人前になったりしたら、健診を受けない、本人が気付いていない病気をほじくり出してほしくないという選択肢があってもいいのではないかという話になった。

先日も書いたように、私はごく普通に暮らしていた次兄が、検査で白血病と分かり入院し、一時退院などはあったものの結果的にそれまでの普通の生活を失った上、1年足らずのうちに亡くなるという体験をした。父も年のせいか風邪がなかなか抜けなくて寝床に入ると咳が出てつらいと言ってはいたものの、いちおう普通に暮らしていたのに、大きな病院で肺がんを見つけられ、入院生活の中で夜間トイレに起きるときベッドから落ちて骨折し、それがもとで急激に状態が悪くなり間もなく亡くなった。

私にとって病院は、「具合の悪かった人がそこに行ったお蔭で元気になって退院する場所」ではなく、「普通に暮らしていた人がそこに行ったら本物の病人になり、まもなく亡くなる場所」という印象になってしまっているようだ。根っこのところに不信がある。だから私はいつの間にか、健康診断は受けない主義になっていた。けれども健康保険組合に入ればそんなことも言っていられず、勤めている間は仕方なく毎年人間ドックを受けていた。

その義務からも解放されたので、私は健康診断を受けない。調子が悪くなってどうしても辛くなった時は緩和医療だけをお願いしたいと、看護師や保健師の資格を持つ嫁にしっかり頼んだ。その話の中で、13歳で命を終えた兄も、もしあのまま気付かずにいたら、病気はもちろん進行し死期はもっと早くなったかもしれないけれど、ひょっとしたら、友人と一緒に中学生になれ、中学校でも野球の部活を少しだけ味わうことができたかもしれない。たった12歳で親と離れて病院で暮らすなんてこともしなくて済んだ。どちらの方が兄にとって幸せだったかは分からない、と話した。話しているうちに、次兄のことが不憫になってちょっと声が詰まってしまった。



悪くなってから治療するよりも予防する方が行政の負担が少なくて済むから今は予防医学に熱心だけれども、こと人間の人生を考えた時に、病気を発見され、手術や投薬を受けたり、生活や食事に制限もできたりする、そうして長らえる人生の方がいいかということは、全く別の問題だ。

今までは目覚ましく進歩する医学にただ驚き目を見張り、先進の医療を受けることを多くの人々が疑いも持たず選んできたし、医療者はもちろんできる限りの医術を尽くすのが使命と考えてきただろう。でももうここらで一度立ち止まり、人間としての尊厳と折り合う医療を考える必要がある。ただ検査で早期発見しないと医療費がかさむというのなら、何歳以降健診不要を選択した場合は、一定以上の医療行為を希望する場合の自己負担率を高くするとか、保険診療外にするとか、方法を検討すればよい。

人類が経験したことのない超高速での少子高齢化時代。しかも経済は成熟期に入り、かつてのような税収増はアベノミクスだろうとなんだろうと難しいだろう。激しく変化する時代に何十年も昔の、全く状況の違う時代にできたシステムにしがみついていては破たんするのは目に見えている。親の財布からは無尽蔵にお金が出てくると無邪気に思い込んでいる幸せな幼児の時代はとうに過ぎ去り、いまや地方自治体も国も、ちっとも減らない借金を抱えて自転車操業なのだから、社会のシステムも人々の意識も、大きく変える必要がある・・・なんて話をした息子一家の帰省だった。