よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

このあたりは少々雨不足気味

あちこちで大変な雨が降っているようだ。でも私の暮らすこの東三河では梅雨はずっとカラ梅雨気味だし、今のところ台風の影響による雨もほとんど降っていない。このあたりの水がめである宇連ダムの現在の貯水率は40パーセントを切っている。むしろ今回の台風で、被害が出ない程度には降ってもらわないと、来月あたりまた水不足を心配するようになりかねない。

そうは言うものの、これから東海地方に予想される雨量は300ミリなどと報じられているので、どうか被害の出ない程度に降ってほしいと願う。昨日も「自然と折り合いをつけて暮らす」ことに触れたけれど、ことほどさように人間の力は自然の前には弱く、宇宙で半年暮らそうが、一般人が宇宙旅行に行ける時代になろうが、雨ひとつなかなか思うようにコントロールすることはできない。


今日は校区の「あいさつ運動の日」だった。私たち更生保護女性会や社会教育委員会、PTA、老人会など地域の各種団体や保護司さん、そして先生も加わって、通学路や小学校の校門で登校してくる児童に朝の声掛けをした。そして以前紹介した手作りの啓発品を子供達に手渡した。啓発品はパンダ、ブタ、カエルの3種類があったため、中にはもらったものよりほかの物が良くて、モジモジ立ち止っている子もいて、察したメンバーが取り替えてあげる場面もあった。

天気予報では雨ということだったので心配したが、日焼けを心配するほどの天気になった。照れくさそうに通り過ぎる子、しっかり挨拶を返してくる子、まるで無表情な子・・・と反応は様々。ちょっと気になったのは、照れくさくて言えないという感じではなく平然としていながら、どれほど大人たちに「おはようございます」と声をかけられても、決して挨拶を返そうとしない子が少なからずいたことだ。

挨拶なんてパブロフの犬、条件反射ではないかと思う。小さなときから家庭内でごく当たり前に「おはよう」とか「いただきます」「行って来ます」「行ってらっしゃい」などの挨拶を交わしていれば、よほど考え事などに没頭しているとき以外、声を掛けられればほとんど無意識に返してしまうものではないだろうか。それなのに大勢の人に何度挨拶されても、平然と無視しているのはそういう習慣が普段からないからだろう。


昔、ユーターンを決めた夫に従って舅姑と同居を始めた時、朝起きてくる舅姑にも、私はごく当たり前に「おはようございます」と声を掛けた。すると姑が少し照れくさそうに「家族で挨拶するなんて・・・」と言ったので、逆に、私は挨拶しない家族もあるのか!と驚いた。それでも毎日挨拶し続け、子供達にもおはようございますからおやすみなさいまで言わせ続けるうち、舅姑もごく普通に挨拶する習慣になった。

封建時代そのままのような価値観や気位で暮らす人たちだったから、婚家の家風に合わせるべきだったのかもしれないが、同居を始めたばかりの頃の私はまだそうしたことにすら気づかず、怖いもの知らずだった。それに、子供達の教育を考えれば、やはりここは譲る訳にはいかなかっただろう。元気にきちんと挨拶できるというだけで、人生は少し違ったものになると思うから。


去年のこの「あいさつ運動」の日のエントリを読んでみたら、子供たちの元気な挨拶に逆にこちらが元気をもらったと書いてあった。去年ももちろん挨拶を返さない子はいたが、中に元気の良い子がひとりふたりでもいると、全体として爽やかな気分で終われるのだろう。私が単純ということもあるが、やっぱり気持ちの良い挨拶は人を幸せな気分にするものだと思う。


さて、明日は雨だろうか。くれぐれも適度に・・・。