よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

賞味期限の見直し

昨夜のNHK『ニュースウオッチ9』で、食品ロスを減らすため、賞味期限等を見直すことについて報道していた。

すでにこの何年か言われてきていることでもある。日本は世界一たくさんの食品を輸入して、世界一たくさん無駄に捨てていると言われる(実際、輸入量に対する食品廃棄率や、一人当たりの食品廃棄量はアメリカさえしのぎ世界一)。一方に満足に食べられず死んでいく子供もいると言うのに・・・。

食料自給率を上げることも急務だけれど、捨てるものを減らすことは今すぐ誰にでもできることだ。まず食べきれないほど買わなければ捨てることもない。うっかり忘れていて期限が切れてしまったものでも、必ずしも捨てなければならないわけではない。昔は台所で主婦が食べ物の匂いをクンクンやっている姿は、ごくありふれた情景だった。匂いを嗅いだり、ぬめりが出ていないか指で確かめたり、その結果自己責任で食べる食べないを判断していた。

それがいつの間にやら賞味期限とか消費期限とかに振り回されるようになってしまった。それだけではなく、カップ麺の容器には「熱湯にご注意ください」、レトルトのパックには「容器の端で怪我をしないようご注意ください」などというご親切な表示まである時代になってしまった。

日本中が、一斉思考停止である。


ただ、このニュースを見て自分自身も反省したことがある。スーパーで買い物するとき、「同じ値段なら・・・」と、ついつい新しいものを選んでしまうのだけれど、消費するのに日にちが掛かり、期限内に使い切るのが難しい場合以外、なるべく古い商品から選ぶようにしようと思った。結果的にそれが企業の廃棄商品を減らすことになるだろうから。


先日ニホンウナギ絶滅危惧種に指定されたけれど、来月の土用の丑の日にはまたぞろ「ウナギ狂想曲」が日本中にかまびすしく響き渡ることだろう。「この時期にはこれですよ!」と商業戦略に操られてソレーっとばかり走るのは、いい加減にやめよう。

私の感覚では鰻も鮪も高級品で、庶民の口にはなかなか入らない食べ物だった。それが回転寿司店でお手軽に食べられたり、スーパーでいつでも手の届く値段で売られていたりすることがおかしい。鰻も鮪もついでに言えば海老も、食べないでいられないという食品ではない。



尾瀬を本当に愛する人は、美しい尾瀬を保つために訪れる回数を抑えるように、いつまでもおいしい鰻や鮪を食べたいと思えば、おのずと節度ある食べ方になってしかるべきだろう。和食が世界遺産だと胸を張るのなら、その食材にもひとりひとりが気を配りたい。古来、自然を征服するのではなく、うまく折り合いをつけながら暮らしてきたのが日本人なのだから。