よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

『あふれる愛』天童荒太著

「リクエストいただいていた本が届いています」と地区市民館から連絡をいただき、本を受け取って来た。今日は3冊。まだあと2冊は順番が来ないようで未着。

さて何から読もうかと迷ったが、天童さんの『あふれる愛』を手に取った。

70ページから90ページ前後の4編の短編集。いま3作目まで読み終えて、最後の作品は明日のお楽しみとしよう。

読み終えた3作品に共通しているのは、ガラスのように壊れやすい繊細な心を持った登場人物たち。ハガネの神経を持つ私は、「繊細そうに装った、あるいは自身の繊細さに酔った(と、私が感じる)」ような文章は好きになれなくて、時には読み進むことができなくなって途中で断念することもある。

それなのに、とても傷つきやすい人を主人公にしていることの多い天童さんの作品は、なぜかいつものめりこんで読んでしまう。たぶん天童さんの作品に出てくる繊細な登場人物たちは、そういう自分を恥じたり責めたり、苦しんでのたうち回っているからだろう。

神経の図太い私など、気にも留めず、たとえ指摘されたとしても平気の平左で言い返してやり込めて済ませてしまうようなことでも、彼らは悩み傷つき、それでも自分を責め、ひとの迷惑になることを恐れてさらに苦しんでしまう。

最初の作品には初めての育児に悩む若い母親が出てくる。これは神経の太い私でも、似た経験がある。以前にも書いたと思うが、幸運にも私の場合は家庭の内外とも条件に恵まれていたので重症になることはなかったけれど、悪条件が重なって、しかも神経の細い人の場合はかなりつらいと思う。だからこそ、周囲の人間は子育て中の人に大らかでありたい。この作品が山手線の電車内で幼児がジュースの缶を取り落し、それを叱責する若い母親の描写で始まっているところにも著者の思いを感じる。

2作目の『うつろな恋人』は仕事人間の中年サラリーマンの話。日々仕事に追われて過ごす人なら、男女の別なく身につまされそうだ。そしてその彼の前に登場するのは、不幸な生い立ちをしたために本当の男女の関係が築けなくなっている少女(のようだけれど実際ははたち過ぎの女性)。彼女にひかれていく男。その愛が彼女を追い詰め・・・。

そして3作目の『やすらぎの香り』に登場するのは兄弟や親との関係で、ずっと良い子を演じ続け、それがちょっとした行き違いから過剰な負担となって自分の存在に負い目を持ってしまっている男女。そんなふたりが心を通わせ始めるが、社会から押し出されてしまっている同士が果たしてちゃんと家庭を築けるのか・・・。

3作目の彼女は、駅で彼を待っているとき、ちょっと傘を立て掛けたまま離れた間に、知らない人にその傘を持っていかれる。どうして「あの、それ私の傘です!」って言わないの?!言わなきゃわかんないでしょ!と私は思う。でも、「あの人も困っているのだろう」「忘れ物と思ったのだ。そこに置いたまま離れた私が悪い・・・」と彼女は自分を責めるから声を出せない。そこで声を出したらその人も気まずい思いをするだろうとか、混雑の中、周りの人にも迷惑をかけてしまうとか考えて・・・。


忙しくて厳しくて人のことなど構っていられないこの時代、彼女たちのような人はあちこちにたくさんいるのだろう。強い人間は思いもしない、想像することもできない辛さや息苦しさを感じながら。私もがさつで図太い神経のために、知らないうちに人を傷つけているかもしれない。攻撃するつもりでこぶしを振り上げる人もいれば、無意識に肘を隣の人にぶつけてしまう人もいる。痛い思いをしている人、辛い思いをしている人を思いやることのできる余裕をもっていたい。

ハッピーエンドではないものもあるけれど、どの話も微かでも希望の持てる結末になっていて、感じやすい心を持った人々への、著者の励ましを感じた。