よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

ひとつのブログの終わり

三日前に「インターネットの向こう側」というエントリを書いた。今、いつも楽しみに読んでいるサイトに行ったら、「今日でこのサイトをやめます」との言葉に出合い、茫然としている。「向こう側」の悪意が、多くのファンを持つ彼女のサイトを閉じさせてしまったのだ。

「艱難汝を玉にす」の格言を深い共感とともに思い出させてくれたひと。繊細で優しい心に裏打ちされた鋭い文章。ずるくて意気地のない私などと違って、オブラートに包んだり衣(きぬ)を着せてごまかしたりせず、常に正直でまっすぐだった。

そうした姿勢ゆえ、ときに悪意を込めた攻撃を受けてしまうのか。ネットの向こう側には、ひたすら、かみつくきっかけを探しているような人間もいるという。

文明の利器はいつも功罪両面を併せ持っている。要は使う人間次第。

彼女のブログが読めなくなることを、寂しがり悲しんでいるたくさんの仲間がいる。ほんの一部の心無い人間の行為が、世の中を少しずつ暗くしていく・・・。たいていの人は地道にコツコツと小さなささやかな花をこの世にポツリポツリと咲かせていくのに、いっぽうで少数の悪意の人間が、強い力でその小さな花を踏みつぶし、なぎ倒し、根こそぎ抜いてしまうことさえする。


昨日のニュースで、大阪市が「問題のある児童生徒を一時的に学校から隔離して指導する」と伝えていた。おとといの「被爆語り部」の件でもちょっと触れたけれど、十数年の生育環境で歪みを生じた魂の矯正はとても大変だ。

他者を攻撃して快感を得る、自分より弱い立場の相手を攻撃して面白がる、社会に迷惑や損害を与えて自分を顕示する、こうした歪んだ感性を持つ人間を育てないようにしなければと思う。特別な人、オンリーワンを育てなくていいから、目立たないところにも可憐な小さな花を咲かせるような人を育ててほしい。親の在り方が勿論一番影響すると思うけれど、その親もまた環境の生きもの。周囲に必ず人はいるはずなのだから、子育て中の人を支える社会でありたい。どの人も、みんな生まれたときには無垢の心を持っていたはずなのだから・・・。