よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

尊厳ある終幕

昨日、話し足りなさを感じた姉と私は、姉が予定していた帰りの新幹線を1本(と言ってもわが街に停まる「ひかり」はとても少ないので2時間後)遅らせて、駅のホテルの喫茶でおしゃべりを楽しんだ。

いろいろ話すうち、やはり母の姿を見たあとだったこともあり、自分の人生の終わり方に話が及んだ。おしゃれで結構気位の高いところのあった母が、下の世話まで人任せになっている状態は、姉にはショックだったようだ。(私は一時期老人福祉施設で働いたこともあり免疫がある)自分に関しては安楽死を認めてほしいと言う。十分厳しい制約も付け、それでも問題が発生したらまた検討しなおせばどうだろうかと。

生き方は選べても、死に方も死ぬ時期も自分では何ともならない。尊厳が保てない状態になってなお生かされるのは辛い。姉も私も体質は母と似ているので、おそらく長生きするであろうと想像される。

私も「目下一番の心配は自分が長生きしそうなことよ」と言ったら、姉がしみじみといった口調で「あなた、幸せなのね〜」と言う。何かほかに心配事があればそんなこと言ってられないもの・・・と。言われてみれば確かにそうだ。

かつて赤坂の会社に勤めていた夫が、毎晩賑やかな街にひっかかって帰りが遅いことに悩んだ時期もあった。突然Uターンすることになって、言葉も習慣も分からない土地で舅姑と同居になり、封建時代のような嫁の立場に悩んだ時期もあった。夜な夜な御前様で荒れた状態で戻る夫が、いつ包丁を手に寝室に上がってくるだろうかと布団の中で身構えていた時期もあった。

数年前にはパワーハラスメントに悩んだ何年かもあった。でも今は・・・。本当にもったいないほど幸せだと思う。

でも、自分で自分の始末ができて、尊厳を保って暮らせるのはいつ頃までだろう。今日で満97歳になった母は、いまだ特に病気らしい病気はない。特別難しい手術を必要とするような病気になれば、高度医療は拒否します、という選択もできるけれど、病気にさえならないのでは生き続けるしかない。

ああ、やっぱり私は・・・自分の人生の終幕がとても心配だ。