よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

『利休にたずねよ』山本兼一著

直木賞受賞時でもなく、映画上映時でもない時に読む、へそ曲がりよんばばです。

実に技巧的な本だと感じた。利休が切腹を迫られる最後の時から、まだ与四郎という名であった十代の若者の時までを遡っていく。しかも章ごとに違う人物の目を通して書かれている。美を追求する茶の世界を扱っているゆえだろうか、言葉の選び方も凝っていて、時々意味の分からない言葉にも出合い戸惑う。

本の半ばあたりまではその気取りが鼻につく感じがして、なかなか読むのがはかどらなかった。近頃のメールブログでよくお目にかかるような、ほとんど一文ごとに行を変えるような表記の仕方も気になってしまう。これにはどのような意味があるのか。あえてそうする意味を感じる部分もあれば、単に紙数稼ぎではないのかと思えてしまうところも多い。昔のような本の作り方をすれば、本の厚さは半減してしまうだろう。まあ、この点に関してはこの作品に限らず、最近の本には比較的よくみられる傾向だけれども。

秀吉はなかなか魅力的に感じた。利休のあまりの審美眼に苛立ち、何とかして屈服させようとするけれどうまくいかず、とうとう難癖をつけて切腹を命じてしまう。しかし並外れた利休の美意識にいちいち感嘆し妬みさえ感じてしまう秀吉も、相当な審美眼の持ち主と言える。戦国時代ものは苦手で映画やドラマもそれほど見てはいないけれど、今まで秀吉というと、信長の草履を懐で温めた話や、有名なホトトギスの句などに代表される「機知の人」という印象が強い。けれどもこの物語では、一介の百姓から天下人となるだけあってやはり只者ではないと感じさせるすごさがある。利休に面白くない思いを抱いていく秀吉にとても納得がいく。

ところが肝心な主人公の利休の方にそれだけの魅力がない。命と引きかえの瀬戸際でさえ譲れないほどの美への執着が、利休のどこから生まれてくるのか。著者はそれを終生利休の心に住んでいた李朝の姫にあったとしてこの物語を書いたのだろうが、その女性の描き方が浅いため、利休の美を求める心にも深さが表せなかった恨みがある。ただ美しく高貴であっただけでは・・・。

史実に相当そむいてまで描き出した女性であり、この物語における利休像の根幹であり、ミステリ仕立てのようにしたこの物語の根幹でもあると言えよう。せっかく後半やっと物語に引き込まれてグングン読んでいったのに、しりすぼみで物足りない気持ちが残った。




次男からのネコグッズの誕生日プレゼントとオーガスト。彼女も寝不足気味?

おととい約半年ぶりに次男が帰省。夜中3時過ぎまでしゃべっていたのに、翌朝猫たちは容赦なく通常通りの5時前に私を起こしてくれた。そしてなぜかオーガストはいつも以上にご機嫌ななめ。鳴きわめくので抱っこするのに、それも気に入らなくてすぐに腕から出ていく。そしてまた鳴きわめくの繰り返し。貴重な休日に来ている息子をゆっくり寝かせてやりたいのに・・・。睡眠不足の重い頭でこっちも泣きたい気分。

結局昨日は一日そんな感じの不機嫌さが続き、今朝も同じような状態だったので、どうせ何をしても気に入らないのなら・・・と、鳴いても放っておいたら観念して自分のベッドで寝ている。先日来の徘徊のような行動といい、認知症が始まっているのだろうか。