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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

大昔のスポーツ少女、運動会を観戦

今日はお隣の小学校の運動会。天気はいかにも5月らしい気持ちの良い晴天。その昔足が速くてスポーツ少女だった母は、運動会が大好きだ。我が家で一緒に住んでいた頃には、運動会をちょっと見てくるからと言って出かけたまま昼を過ぎても帰って来ず、気をもんだことがあった。(ちゃっかり本部のテントの中で、来賓用のお弁当までいただいて観戦を楽しんでいた)

去年の秋、天気のいい日に、たまには外の空気をと思い散歩に連れ出しても、「疲れた!」とか「寒い!」とか文句ばかりで全然楽しんではくれなくて、もう母にとって変化は必要ないのかと寂しい気持ちになった。それからさらに半年以上たったのだから、喜ばないかもしれないと思ったが、ダメならすぐ戻ればいいことだしと考え直して連れ出してみた。


木陰になっているところだと、前にズラッと人が並んでいてほとんど子供たちの演技は見えない。ちゃんと見えるところはカンカンと日が照り付ける場所ばかりなので、熱中症などになっても困ると思い日陰にいた。

それでも音楽や雰囲気で運動会というのは分かるのか、母はとても楽しんでいるようだった。途中何度も「疲れない?」「もう帰ろうか?」と聞いても帰りたがらなかった。「がんばって踊った3、4年生に拍手を・・・」というアナウンスが入った時には手をたたいていた!こんなふうに外からの働きかけに感度のいい反応を見せることは、近頃めったになかったのでとても嬉しかった。

「お母さん、運動会好きだよね。選手で走ったんだよね」と話しかけると「好きだよ〜」とニッコリした。良かった。ダメモトで連れて来てみて。

小一時間楽しんで帰途についた。一歩校門を出ればもう運動会を楽しんできたことなど忘れてしまう。「楽しかったね〜、運動会」と話しかけてもキョトンとした顔をしている。はたして母にとって意味があったのだろうか、私の自己満足に過ぎないのでは、などとも思うが、たぶん母が運動会で楽しいと感じた瞬間、手をたたいた瞬間、脳の中でほんのちょっとは何か変化があったことだろう。