よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

朝ドラ脱落しそうです

一か月半あまり、時々「え?」となりつつも何とか『花子とアン』に付き合ってきたのだが、そろそろ限界かも知れない。昨日唖然として、でも今日から立て直されるかもしれないと期待したが、またまただめだった。

私の頃でも学校の先生といえば、親たちにとっても子供にとっても絶対的な存在だった。まして大正の初めの素朴な田舎だ。子供があんなにスレている訳がない。たとえ黒板に落書きしても、先生がいらっしゃるまで平気で残しておくなんて考えられない。たとえその先生がホヤホヤの新米先生だとしても。校長先生が教師を子供たちの前で立たせるというのも、非常識に過ぎる。

そもそも家のことを考えれば、条件のいい東京で働いて家に仕送りする方が助かるのではないかと思うし、花子の秀でた英語の力を生かせない田舎の小学校での代用教員という仕事を、本当に娘思いの母ならば望むとは思えない。

先週からそうした疑問を感じていた所へ今週の展開だ。甲府に戻すのならそれだけの価値のある展開を見せてほしい。子供たちとの交流や教師になったことの意味など、もっといくらでも描き方はあるはずなのに、こんなつまらないドタバタを見せられるとは・・・。

だいたいヒロイン花子の魅力が少しも視聴者の心に迫ってこない。今までだって蓮子さんのほうがはるかに魅力的だった。卒業の時周囲から花子は10年間よくがんばったと称賛されていたけれど、見ている側はABCも知らないで入学してあれだけになったんだからさぞや・・・、と行間を補って想像の翼を広げて理解するだけで、実のところ花子の努力の部分はあまり描けていなかった。

前作の『ごちそうさん』も私に言わせれば、ヒロインの言動も親や祖母の子供に対する態度なども理解不能だったけれど、息子一家などは楽しく見たと言うし、視聴率もよくまた向田賞なども取ったようだから、若い世代や世間一般は時代背景無視の展開でも面白ければいいのかもしれない。

たかがテレビドラマでイライラするのもつまらない。見なければいいだけの話だ。でも大好きな『赤毛のアン』の翻訳者(村岡さんの訳のものを選んで読んだ)だからとつい期待してしまった。民放と違って受信料も払っているのだから、良い作品を見せてくれと文句を言いたくもなってしまうが、私は結構Eテレを見るのでそれでよしとしよう。

結局時代考証の方などが付いていても、あくまでも脚本に描かれたストーリー内での考証であって、ストーリー自体が時代と合っていなくても、それは脚本家先生に言えないことなのだろう。

ドラマの時代考証などという仕事もストレスが多くて疲れそうね。・・・って、我儘な私には務まらない仕事ばかりなのだけれども。