よんばば つれづれ

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辞書を編む人たち

録画しておいたETV特集『辞書を編む人たち』を見た。言葉好き、辞書好きなので興味深かった。番組に登場した、インターン三省堂に来ていた大学院生の女性にはもちろん遠く遠く及ばないけれど。(彼女は幼稚園の卒園記念の辞書に始まって、もう自分の部屋はいろんな辞書でうまっていた)

先日テレビで放映された映画『舟を編む』も見たばかり。三浦しおんさんが地味な辞書作りをテーマに良い本を書いてくださったおかげで、辞書の背景を知ることができてとても良かった。

子育て中も必ず茶の間には辞書を置き、子どもに聞かれて分からないことがあると引き、テレビで知らない言葉が出てきたり疑問に思うことがあると引くようにしていた。インターネットのない時代には、疑問があればまず辞書に聞いていた。

そんな私もいまや漢字が分からなくても言葉の意味が分からなくても、すぐインターネットで検索してしまう。大きくて重い辞書はもちろん、ハンディサイズの辞書さえもめっきり手に取らなくなってしまった。紙の辞書の売り上げが激減しているそうだけれどさもありなんと思う。

「無人島に一冊だけ本を持っていくとしたら」という問いに、多くの人が辞書を選ぶそうだ。そうか、その手もあったか。私は長らく『星の王子様』と思っていたが、辞書というのもなかなか名案だ。この番組を見るまで私の中ではなぜか辞書≠本であった。辞書は他の本とは違う特別な存在だった。

けれども、番組の中で紹介された五木寛之の「私に関する限り、1ページに1回は、ほう、とか、あっ、とかいった叫び声をもらさずには読み通せないのである」とか、北原白秋の「辞書は引くものに限っていない。辞書は読むものだ。よい辞書は最高の読みものだ」などの言葉に、辞書も本のひとつであることに気付かされる。さすがに言葉を生業とする詩人や作家には、辞書を1ページ1ページ読み込んでいる人が少なくないようだ。家の整理をしたときに、使わなくなった大きな辞書をどうしようと思ったけれど、早まって処分しなくてよかった。これから一日に1ページずつでも読むようにしてみようか。

それにしても、先日の映画やこの番組で知った辞書の編纂に携わる方々のご苦労には頭が下がる。今まで、どんなことばも辞書なら載っていて当たり前、間違いがなくて当たり前のように考えていた。一般の書物なら一刷り時点では必ずと言っていいほど、校正漏れがある。辞書だとて人の作るもの。けれども辞書に間違いがあったらと、考えるだに恐ろしい。私が何となく辞書を特別に考えていたのも、圧倒的な信頼性から、他の一般書籍とは全く似て非なるものであったからだろう。

大辞林』は今後は電子版を主体にして、紙の改訂版は補助的位置づけと考えて出版すると言っていた。紙は収録する語数がどうしても限られるので、カバーする言葉の範囲という点で無制限に広げられる電子版には勝てないのだ。けれども目的の言葉そっちのけで、隣に並ぶ興味深い言葉にひかれいつの間にかオマケの知識を得るという喜び、無駄の効用といったようなものは、アナログのほうにあるような気がする。これから電子と紙とそれぞれの強みを生かして、より楽しい辞書の世界が広がっていくといい。



おまけだけれど、この番組のナレーションは荒川良々さんだった。自社に語りのプロがいながらやたらにタレントを使いたがるのはNHKのいつものことだが、余計なお金を使った上に、「演じ」すぎて失敗していることが多い。けれども今回の荒川さんはなかなか良かったように思う。癖のない喋りで聞きやすく、でしゃばり過ぎていなくて好感が持てた。