よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

日曜ごとになぜか天気が悪い

先月の下旬ころから姉が母の顔を見ながら墓参りをするために帰省したいと言っているのだけれど、このところなぜか日曜というと天気に恵まれない。姉も膝を悪くして足元が頼りないので、雨の時に出歩くのは不安なのだ。

今週もやっぱりだめで、来週はもうゴールデンウイークになってしまって混雑するだろうし、いっそ連休が終わってからゆっくり・・・、ということになった。

若いときなら「思い立ったが吉日!」とサッサと行動を起こすこともできたのだろうけれど、年を取ると無理は禁物。姉は悪くした膝が少し回復したところで転んでしまい、また悪化させてしまったこともあり、このうえさらに転んだりしたらもう回復は望めなくなるからと娘にもクギをさされたそうだ。

迎える私も自分自身が出かけることが苦手で、なるべくなら出かけなくて済む口実を無意識のうちに探してしまうほうなので、天気予報が芳しくないと「無理して来なくてもいいからね」と電話をしてしまう。そうしてますます予定の繰り延べに拍車がかかってしまったわけだ。

まあそれでも、別に母が首を長くして待っているわけではないのだから無理をすることはない。悲しいけれど母はもう自分に何人子供がいたかも分からなくなっている。それでも少し前まで私が娘だということは分かっていたようだったが、ここ何回かはとうとうそれも怪しくなってきている。今日など話しかけても話しかけても反応がなく、張り合いがなくて寂しいことこのうえなかった。

生き方はある程度選べるけれど、人生の最後がいつになるかは神様しか分からない。最後の最後まで「確かに生きている」と思えるように生きたいものだが、それはなかなか難しいことなのだなと思う。34年先を行く母、11年先を行く姉、どうしても自分の未来を重ねる。来し方の同じ年月を考えれば11年なんてほんのこの間のことだし、34年だってものすごく長い年月という気はしない。日々どう過ごし、何をするべきか・・・。