よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

桜花太鼓に心も共振

昨日は涙が出そうなほど感動することがあったのに、ブログを書く気になれなかった。感動の後に会った母が、あまり調子が良くなかったからだろうか。いくら年を重ねても気分屋で成長のない私。


昨日はユネスコの定例の集まりの後、同じ愛知大学内の会場で開催されたESD大学生リレー・シンポジウムという催しに参加した。ユネスコでも同じESDの取り組みをしているので、午後の勉強会を変更して聴衆として参加協力したのだ。

行ってみると、12時45分からという早い時間設定も災いしたのか会場の半分も埋まっていない。これはやはり協力してよかった。やがて定刻通りに開会し、まずアトラクションの桜丘高等学校和太鼓部の演奏が始まった。

「桜花太鼓」という名前で地元の各種の行事にもたくさん参加しているそうだ。チームワークもよく、力強くて若さのあふれる素晴らしい演奏だった。司会者の話によればこの演奏のために朝から会場入りして準備をしていたそうで、聴衆が少なくてちょっと申し訳ないくらいだった。会場に入る前に会った時にも元気で明るい挨拶が聞かれ、とても気持ちの良い若者たちだった。

去年薪能の時にコラボレーションで聴いたパーカッションも素晴らしくて感動したけれど、やはり打楽器というのは、原初的な楽器であるだけに魂を揺さぶる力が強いのかもしれない。和太鼓の音が会場の空気全体を揺さぶり、聴き手の体を心を揺さぶり気持ちがふるえた。

高校生のパフォーマンスの後、大学生たちのプレゼンテーションがあった。愛知大学の3グループと豊橋技術科学大学スリランカからの留学生の4組の出場だった。愛大の3グループは離島や山間部での地域活性化の取り組み、留学生は電動二輪車の利用促進についてのプレゼンだった。

かつて、若者は欧米的なもの都会的なものに惹かれるのが当たり前のようなときがあった。いや若者だけでなく、国を挙げて伝統的なもの日本的なものを忌み、振り捨てるように暮らしてきて、いまや過疎とか限界集落などといった問題が日本のあちこちに発生している。地域独特の祭りや行事や食といった暮らしの文化が消えていきつつある。

郷愁に浸っているばかりではだめだしまた決して時間は巻き戻せないけれど、若い人たちが、こうして地域を活性化するための知恵を絞り汗を流してくれることはとても心強く思った。昨日の発表の最後のグループの提案「ほの国キャンパス!〜ほの国(東三河)一帯を学びのキャンパスに〜」などは、とても実際的で効果も期待できそうな内容だった。

これからは若い人たちに負けずに、おとな、とりわけ時間的に余裕の持てるようになった年配者ががんばらなければいけない。団塊の世代は日本の伝統や秩序を打ち破ってきたが、いまだ新しいものを構築できていないと思う。学生運動の後すっかり企業戦士で働き蜂の長い時間を過ごしてきたわけだけれど、残された今後のけっこう長い退職後の時間を、それぞれの場所で自分のできるところから、人のため地域のためにできることをしていくべきではないかと思う。

私たちが先輩世代から受け継いだ世の中を、できればほんのちょっとでも良くして次の世代に引き継ぎたい。何をもって「良い」とするかは難しいところだけれど、少なくとも家族が地域がバラバラでいいはずはない。


参考:ESDとはEducation for Sustainable Developmentの略で、持続可能な社会の担い手づくりの取り組みを意味します。