よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

はなと花子とハリセンボン

二週目に入った『花子とアン』を視聴。

ちょっと「はなではなく花子と呼んで」がしつこいのが気になるが、おおむね楽しく見ている。確かにあの頃の女の子は、現代の人たちには分からないくらい「子」の付く名前に憧れが強かったのだろう。

そう思うのは、私の母もはなと同じだったからだ。私はずっと「子」の付いた母の名前を本当の名だと思って暮らし、学校などの用紙に親の名を記す時も躊躇なくそう書いていた。母の年代だとほとんどの人が平仮名二字の名前なのに、母の親は随分とモダンだったんだなあと思っていた。もう大人になってから何の折だったか忘れたが、戸籍に届けた正式な名前は「子」のない平仮名二字の名であることを知って驚いた。

今でも時代によって名づけ方の流行はあるが、それがすぐに身分や環境まで表すことはない(キラキラネームについてはある程度傾向が言われているようだけれど)。でも、明治や私の母の生まれた大正初期の頃は、女の子の名前は一般的には平仮名ふたもじで、「子」がつけばたちまち皇室や華族か財閥令嬢という雰囲気だったのだろう。

ドラマのはなちゃんが花子にこだわるのは、もちろん『赤毛のアン』が自分の平凡なANNが不満でせめてANNEと最後にEの付くアンでありたいと願ったエピソードを踏まえたものだけれど、あの時代の夢見がちな女の子の気持ちをよく表していると思う。そのあたりが分からないと、なんであれほどまでにしつこく・・・と思われてしまうだろう。分かっている私でさえくどいと感じるくらいだから。これからもあの調子でずっと続けるのは避けたほうがいいような気がする。

今日からいよいよ東京の女学校での生活が始まったのだが、寄宿舎の同室の先輩がはなの言葉遣いに呆れて、「言葉の乱れは心の乱れ、もっときれいな言葉で話しなさい」(方言は汚いとか乱れとは違うと思うが)と注意する場面があった。それを言うのがハリセンボンの春菜さんだったのは可笑しかった。

近ごろ女性の芸人は乱暴な言葉遣いが当たり前のようになってしまったが、私の印象では春菜さんはそうした風潮を広めた一人だという気がする。百歩譲ってネタを演じるときは仕方がないとしても、それ以外の近藤春菜としては、ちゃんとした言葉遣いをしてほしいなと私は思っている。

前作も同じ時代背景だったけれども、ヒロインはまるで躾のなっていない家庭で育ち、あの時代の女学生とは思えないお行儀の悪さだったのでとてもお手本にはならなかったが、今度は厳しいキリスト教系の女学校で、周りは育ちの良さそうな学友ばかり。ドラマの中だけでも優雅で女らしい時間が流れてくれるといいなと期待している。


それにしてもNHKって、ほんとに芸人が好きだ。白鳥かおる子役はハリセンボン春菜である必然性があったのだろうか。彼女の言葉を矯正したかった?演劇を志して苦労している若い役者たちもたくさんいるだろう。出演者の名前で視聴率を取る必要のないNHKこそ、無名の名優の卵を発掘してほしい。これからドラマを見ていく中で、このキャスティングに納得できると良いのだけれど。

無理にお堅くないポーズをとったり、若者受けを狙ったりせず、昔のようにどんなに世間で人気があっても自局の規範にはずれるタレントは出さない、くらいの気概をNHKは持ってほしい。