よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

満開の桜の下で

ウオーキングコースのあちこちで見事に咲き誇っている桜が楽しめる。ふと、長男の小学校入学記念に植えた桜の木はどんなになっただろうと考えた。もう30年以上になるのだからだいぶ立派になっているのではないだろうか。そして次男の時に植えたハクモクレンはどんなになっただろう。北国のことゆえまだまだ蕾は堅いことだろうが。

私と子どもたちが出たあと、夫を送り息子を送り大きな家にひとり残っていた姑も、昨年施設に入り家は無人になってしまったと聞く。あの桜もモクレンも今年は見る人もいない家で咲くのだろう。あの家の中には、まだ子どもたちの残してきた本やおもちゃがそのままになっているだろうか。蔵の中の長持には今も子どもたちの赤ちゃんや幼児時代の服が眠っているのだろうか。

蔵の中には鎌倉時代からの家系を記した古文書があると舅は誇りにしていたが、あの家を処分するときにはどうするのだろう。夫の妹が引き継ぐだろうか。19代続いた家を私が終わらせてしまった。20代目となる長男、21代目の孫と血は脈々と続き姓も続いてはいるけれど、おそらく息子たちがあの地に帰ることはないだろう。

35年前唐突にしかも独断でユーターンを決めてしまった夫に従って、大家族も賑やかでいいだろうくらいの気持ちで同居を始めた私は、毎夜子どもたちを寝かしつけたあと舅から聞かされる話に驚いた。「家風」とか「本家、分家」とか、「〇〇家の嫁」などといったとうに死語になっていると思っていた言葉がしっかりそこでは生きていた。ごくごく庶民の家庭で(しかも戦争中当時はまだ田舎だった母の実家に疎開して世話になったせいか、私が物心ついたころにはすっかり我が家は「カカア天下」になっていた)育ち、「男女平等」の教育を受け、そのうえ気が強く男勝りな性格だった私には信じられないような世界だった。

私のような嫁を迎えて舅や姑も大変だったことだろう。気位が高く、真の旧家らしくとても質素な暮らしぶりで不便も多かったが、なかなかできない経験をさせてもらった。いまとなれば全て笑い話。いい思い出。人生は、そこにある角を曲がったらどんな風景が現れるかわからない。怠け者の私は、求めてならおそらく困難な道に踏み出せないが、ケセラセラでどんどん角を曲がり、そのおかげで面白い人生になったのかもしれない。巻き添えにした息子たちには申し訳ないけれど・・・。


ウオーキングしながら妄想や思い出の中に遊ぶ。

満開の桜は思いをかなたへ連れていく。