よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

春風に誘われて

私の花粉症は秋だったのだけれど、数年前から春も少し反応するようになり、今日はなんだか結構つらい。朝から出かけたのもいけなかったのかもしれない。


何年か前金融機関が一斉に支店を閉鎖した時期に、私がこちらに戻ってきて最初に口座を開いた信金の支店も閉鎖になってしまい、しかも駅ビルにも近くの大型店のATMコーナーにも利用できる機械がなくとても不便になっていた。あらかたの用事は他の口座に移したが、一件だけ年に4回振り込みのあるものが口座変更するチャンスもなく残っていて解約もできずにいた。

やっとそれも口座変更の手続きが終わったので、暖かさにも誘われて今日解約に出かけた。この間まで冬の上着だったけれど今日は春のジャケットで出た。それでも途中でいらなくなるほど暖かった。通り道にある大型店の駐車場わきの桜並木はだいぶ花が開き始めていた。

そのあたりは十数年前まで実家があった場所でもあり、私自身も17歳でそこに引っ越し、嫁ぐまでの間両親や兄一家と暮らしたところだ。お店などだいぶ変わってしまった部分もあるが、それでも私が住んでいた頃の名残りをとどめるところもあり懐かしい。

人手に渡ってしまった実家の前を通ってみた。玄関わきのピンクの椿の木がとても大きくなり見事な花をいっぱい咲かせていたが、植木の好きな母が住んでいた頃のようなプランターや鉢の花はなく、寂しい感じがした。この家にいたころの母はまだシャッキシャキだったっけ・・・と思ったら胸が締め付けられた。

あのままここで暮らすことができていたら、いま母はどんなだったろう。「たられば」のことを考えても仕方がないとは思うが、やはり80歳過ぎて転居を余儀なくされた母が少々不憫になる。住み慣れた場所でなじみの人々と頻繁に昔話をしながら暮らせたら、頭の霧が濃くなることはなかっただろう。家の中のことを手伝ったり植木の手入れなどの仕事があって体を動かしていれば、足が弱ることもなかっただろう。

その後、我の強い同士で兄とぶつかり、一緒に住むのは嫌だと自分で言い出したのだから自業自得ではあるのだけれど、それでももし私が戻って来ていなかったら母はどうしただろう。それでも兄のところを出ただろうか。一人ではとても暮らせない人だと思うけれど・・・。

私がこの地に戻ってきたときの母は70代だった。今の自分と一回りちょっと違うだけかと愕然とする。仕事を辞め毎日が日曜日の気楽な一人暮らしでのうのうと日を過ごしているが、今の生き方が必ず自分の老後に影響してくるだろう。せっかく母が身をもって学ばせてくれているのだから、しっかり意味のある生き方をしなければ。生きている限りなるべく長く、なにかちょっとでもいいから人の役に立ちたい。人のためになれる自分でいられるよう努力しなければと思う。



春に誘われてちょっと寄り道をして、花粉もくっつけて来てしまったようだけれども、来し方行く末をつらつら考える春の午後となりました。