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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

設計図を作らさせてください

ことば

数日前の橋下大阪市長の辞職会見の言葉だ。思うように行かないから辞任というのも、そうすればきっとまた自分が当選(あるいは対立候補なしの信任?)して、反対する人たちを黙らせることができると思っているのであろう傲慢さを感じて、私は不愉快だったけれど、それ以上に不快だったのがこの「作らさせてください」だ。

えっ?まだ作れてなかったの?という驚きもあったが、作ら、と来ればそのあとは「せてください」のはず。「行かさせてください」「やらさせてください」など、過去何度も「間違っている」とあちこちで指摘されているにもかかわらず、こうした言い方をする人は増えるばかりだ。なぜなら、たぶんその人たちは「作らせてください」より「作らさせてください」のほうがより丁寧だと思っているのだ。

「せる」より「させる」のほうがへりくだっているなんてことは全然ない。中学か高校の文法で習ったはずだ。どちらも使役の助動詞で、ただくっつく動詞の種類によって使い分けるだけだ。「つくらあ」とくっつけたい動詞の未然形を伸ばして、「あ段」になれば「せる」がつく(文法的には五段活用の動詞ということ)。

そもそも必要以上にへりくだって聞こえそうな言い方を多用する人は信用できないと思う。不遜な内心を見透かされないようにという防御の気持ちが、過剰な謙譲表現につながる。お母さまから毎月千万円単位のお小遣いをもらっていた超おぼっちゃま鳩山元首相は、非常に「させていただく」を多用する方だった。ま、鳩山さんに限らず、政治家にはこのタイプがとても多い。

それにしても大阪市民の方々は今回の市長の件をどう感じているのだろう。選挙ってとてもお金がかかるらしいのに、東京といい大阪といい、納税者は腹立たしくはないのか。こうした本人の責任による任期途中の降板はペナルティを課すとかできないのだろうか。自分たちに不利益になる法律や条令を作る訳はないか・・・。