よんばば つれづれ

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いちまいがん?

今朝の『時事放談』を見ていたら、元総務大臣の片山さんが「自民党もイチマイガンではないんですよね」とおっしゃいました。聞き間違いかと思いましたが、もう一度やはり同じ文脈でイチマイガンと聞き取れました。アラ、では私のほうが思い込みなのかしらと思い辞書を確認。確かにイチマイイワ(一枚岩)でした。どんな方でも間違って思い込んでしまったことってあるものですね。

なぜか言葉がとても気になってしまうたちで、このブログにも時々言葉のことを書く私ですが、人の間違いを指摘していながら、私自身も時々「通りすがり」の方に間違いを教えていただきます。音訳ボランティアをしていた時にも、たまに校正の方にそうした指摘をいただくことがあって、どうしてこんなふうに間違って覚えてしまったんだろうと穴があったら入りたいような気持になることがありました。

思い切り難しい熟語はかえってすぐ辞書を引くのでいいのですが、案外何気ない言葉に落とし穴があります。負け嫌いな私は極力校正の数を少なくするようように気を付けていましたが、ある日「声を荒らげる」が校正表に上がっていました。私はずっと「コエヲアラゲル」と読んでいたのですが、「アララゲル」だったのです。

口のことを難しく言う「口腔」は「コウコウ」ですが、医療用語としては「コウクウ」も可というか、むしろそれが普通になってるようです。でも「腔」には「クウ」という読みはありません。昔偉い専門の先生が学会の発表なんかで間違って「コウクウ」と読んでしまい、それが定着してしまったのではないかと、ひそかに私は推理しています。

数字の10を表す「十」の読みは「ジュウ」「トオ」「ト」「ジッ」なので、「二十世紀」は「ニジッセイキ」、「何十回も」は「ナンジッカイモ」で、これは私が中学校の放送部員だったときに顧問の先生に教えられました。音訳ボランティアでも勉強会に講師からこれを直されている人もいましたが、いまやNHKでもちゃんと「ジッ」と発音するアナウンサーは絶滅寸前になっています。これを読み間違いと思う人はほとんどいないでしょう。(ただし固有名詞は別です。以前息子たちが住んでいた所に十軒坂という地名がありましたが、これはジュッケンザカだったようです。江戸っ子ならジッケンザカと言いそうなものですが、神奈川でしたのでべらんめえではない?)

間違いも多くの人が間違えるようになればそれ「も」正しい、それ「が」正しいとなっていきます。現在使われている「だらしがない」は「しだらがない」だったと言います。「ふしだら」の「しだら」ですね。「独壇場」も本来はダンの字が「つちへん」でなく「てへん」で読みは「セン」であり、」「ドクセンジョウ」だったとか(字も読みも変わってしまった)。金田一秀穂先生などはたいそうおおらかであれもあり、これもあり、とめったに間違いなどとはおっしゃいません。また外国人が大勢日本語を学ぶようになればさらに許容度は上がり、敬語などもかなり簡略化されていくのかもしれません。

ただ私の場合、正しい正しくない以前に、感覚的に嫌だなと思ってしまうことが多いのです。おおらかにあまり時代の流れにケチをつけないほうがオトナでカッコイイのかもしれませんが、小言幸兵衛とか老婆心とか、こうるさい大人だとかも社会には必要なのではないかと思うこのごろ、ほとんど影響力のないブログですがブツブツつぶやき続けようと思っています。