よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

断捨離、どこまで思い切る?

少し日にちが経ってしまいましたが、今週の月曜日、以前勤めていた会社で仲良くなった若い友人2人とお昼を一緒に楽しみました。5月の末に会って以来なので約半年ぶりのおしゃべりでした。2人とも私の息子と同じくらいの年なのでほんとに若い友人です。

そのうちのひとりが、最近結婚前までのアルバムや写真を全部処分したと言うのを聞いてびっくりしました。このところ私もやたらと整理したくてかなり身の回りのものを処分しましたが、写真まではまだいっていません。若いのになんて思い切りがいいんでしょう。確かに写真って案外出して見ることはあんまりないのですが、でもいざ処分するとなるとかなりふんぎりを要します。

当市の区分ではアルバムはこわすゴミになるそうで、ゴミに出すのもかなり気を使って大変だったと言っていました。こわすゴミの方が燃やすゴミより人目にさらされそうで嫌ですよね。私も写真の量は多いので、少しずつ整理を進めなければ・・・と思いました。

彼女は「何かあったとき、人に見られたくないものは残したくないので」と言っていました。私もやたら整理に励むのは自分自身がスッキリ暮らしたいのはもちろんですが、何かあったときに息子たちに整理や処分で大きな負担をかけないようにしたいためでもあります。もちろん現代ではお金さえかければプロに頼むという手もありますが、どちらにしても「こんなものまで?!」と呆れられるようなことがないようにしたいと思っています。

以前老人福祉施設のデイサービスで働いていたとき、お迎えのためにお年寄りの家に伺うと、足の踏み場もないほどこまごましたものであふれかえっている家が少なからずありました。若い人と同居しているとそんなことはないのですが、お年寄りだけの世帯では珍しいことではありませんでした。年を取るとだんだんモノを捨てられなくなるのでしょうか。それとも今までの高齢者はモノのない時代を経験したためであって、これからはそうした傾向も変わっていくのでしょうか。私はいくつになってもスッキリ暮らしていたいと思っていますが、はたしてどうなることやら・・・。

記憶は時々復習することで定着もし残ってもいくと思うので、思い出すよすがとなる大切な写真だけは厳選して残すか、あるいはパソコンに取り込んでデータ化していくかしようと思います。極力持ち物は少なく、身軽に生きていきたいですが、年をとっていくと未来への夢の分量は減って、過去の思い出が多くを占めるようになるでしょう。その思い出を忘れてしまって減らしてしまうのは寂しいので、何を残し何を処分するのかよく考えなければなりません。

昨日の話とも関連しますが、写真や手紙などアナログデータならかなりの分量になるものも、パソコンに入れてしまえばすっきり片付きます。そんなところが案外性に合ったところなのかなとも思います。息子たちが子どもの頃の絵やちょっとした工作の作品も保存してあるので、写真にとってパソコンの中に片付けようかと思います。




ねぷたフリークだった次男が3歳頃に作ったねぷた(平面)。



小学校6年生になるとこんな作品に(もちろん立体)。


追記 食事をした場所は豊川市にあるはくよ庵というお店です。
   テレビでも紹介されたりしたらしいのですが、
   手入れの行き届いた広く美しい日本庭園を持つ、古い民家を改造した素敵なお店でした。
   日替わりランチにデザートとおかわり自由のドリンクをつけて1575円、満足でした。

   お店のホームページ:http://www.gginternational.jp/hakuyoan/