よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

戦争遺跡学習に参加

当地のユネスコ協会の活動のひとつである小学生を対象とする「戦争と平和について考えよう」という催しに、お手伝いと自身の勉強のため参加しました。

今日の参加は市内の小学校の6年生41名です。かつては藩の城があり、明治18年から敗戦までの60年間は歩兵第18連隊が置かれていて、その後市民のための公園になっている場所が今日の勉強の舞台です。子どもたちを4つのグループに分け、公園の中に残る十箇所ほどの戦跡をユネスコのメンバーが解説しながら見学して廻りました。

連隊の正門跡、かつては歩哨が立っていた哨舎、道路建設のため本来の場所から移築されたレンガ造りの西門、灰捨て場、神武天皇像、馬頭観世音の碑、軽油庫、生き残った人たちが建立した顕彰慰霊の碑など、形のあるものもあれば、兵舎などは今はもうなく、中学校の鉄筋コンクリート4階建ての建物になってしまっている場所もあります。兵隊たちの運動場、練兵場だった場所も今は市の別の施設が建っていて、そういう場所だったんだよ、あちらの宿舎からその訓練する場所に通った兵隊さんたちのことを想像してみてねと伝えるしかないものもあります。

子どもたちはそれぞれメモを取りながら結構ちゃんと説明を聞いていました。1時間ほど公園内を廻った後、グループごとにひとりひとり感想を言い合ったりし、その後それぞれの班長がグループ内の意見をまとめ、今回の学習の感想を発表しました。

子どもたちはひとりひとり自分のテーマを持って戦争の学習をするよう指導されているそうで、これからもいろいろな形で戦争について学んでいくようです。私が付いたグループの女の子の感想に、「碑に書かれた文を読んで生き残った人たちの気持ちなども少し分かったので、これからもそういうものが他にもあるか探していきたい」という言葉があり、今日の学習がそのようにまた次への関心に繋がるのは素晴らしいなと思いました。

私自身が一番印象に残ったのは、残った像の裏側の、何年何月どこそこに向けて出兵というような輝かしい戦果が刻まれていたらしい部分に上からコンクリートが塗られて、文字が読めなくしてあったことです。一部分のコンクリートが剥がれて(あるいは剥がして)わずかに判読できる状態でした。台座の上には大きな砲弾の像が立っていたらしいのですが、今はそれもなく立派な台座(これはたぶん破壊が大変だったから?)だけが残っています。どうやら敗戦によってこれら名誉の顕彰物が一気に恥の、あるいは罪の記念物となって、塗り込められたり、壊せる物は壊せということになったためのようです。戦争の愚かさと、国の方針によって振り回された人々の悲しさを痛切に感じました。

今回説明役についたユネスコメンバーも終戦の直前くらいに生まれた人や戦時にやっと3、4歳だった人たちで、もう直接にはほとんど戦争を知らない世代です。小学生たちの祖父母世代も似たようなものでしょう。私もかつてしきりに「戦争を知らない子どもたち」(この題名のヒット曲があった)と言われて育った世代です。ただ、このあたりの年代は、まだまだ子どものころにたくさん戦争についての話を家族や身近な人から聞いています。体験者が急速に減っていく中、こうしたかろうじて聞き取りできた世代が、これから次世代に語り継いでいく大切な役目を担っていかなければいけないでしょう。

この公園は、子どものころ写生会で来たり友人と遊びに来たりして、幾度となく訪れていた場所ですが、子どものことゆえ戦跡など気にも留めず、従って何も知りませんでした。まだこうした学習会がいくつかの小学校相手に予定されているようです。今回はほとんど自分の勉強でしたが、いずれ先輩方に代わって説明役もできるよう勉強していこうと思います。