よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

地域パトロール

今日は小学校の先生や他の組織の役員の方と一緒に校区内のパトロールでした。子どもだけで行ってはいけないことになっているお店に行っている子はないか、地域のお店に迷惑を掛けたりしていないか、道路の通行に危ない行為がないかなどを重点に、校区内を見回りました。

昨日今日のまるで焦げてしまいそうな暑さでは、子供たちといえどもさすがにあまり外に出ようという気にはならないのでしょう、ほとんど出歩いている小学生はいませんでした。見かけたのは二組だけで、そのうちの一組に自転車に乗った子と一緒にキックボードで走っている女の子がいて、しかもヘルメットも被っていず、先生がキックボードは道路で乗ってはいけないことになっているんだけど・・・とおっしゃっていました。チェックはしていらしたので休み明けに学校で児童全員に話はするのかもしれませんが、今日現場で注意することはしませんでした。もっとも車で廻っているのですぐ止めるわけにも行きません。

コンビニエンスストアやスーパー、ゲームなどの買取の店では先生方がお店の方に児童に関して問題などがないか尋ねていました。以前あるスーパーから子どもたちが売り場を走り回って困ると連絡を受けたことがあったそうです。

こういうことも学校の守備範囲なのでしょうか。昔からこのような休み中の巡回のようなことはしていたのでしょうか。私は自分が中学生の時生徒会の役員の仕事でパトロールした記憶はあります(当然顧問の先生は引率しました)が、校区の大人や先生方が分担して巡回したりしていたのかはわかりません。たしかに昔から「夏休みから非行が始まりやすい」とは言われていたように思いますけれど。

ひとたび子どもの世界で問題が起きると、親の責任は問われなくとも学校の責任が問われないことはないので、学校側としてもどうしても「ことなかれ」の思いは強くなるでしょう。でも学校がどんなにがんばってもそれ以前(家庭での躾)の土台がしっかりできていないことには、「糠に釘」になってしまうことが多いんですよね。

子どもは社会で育てられるべきですが、一方で「三つ子の魂百まで」もどんなに時代が変わっても実に核心を突いた箴言であると思います。赤ちゃんは3歳くらいから社会性が芽生えてくると言われますが、つまりその前の家庭内の存在のときに形成された魂が百歳までも影響するということです。

「三つ子の魂百まで」
「すずめ百まで踊り忘れず」
子どものころよく親たちが口にしていました。今あまりこういう言葉を耳にしなくなったような気がします。
「いつでもお天道様は見ている」
「世間様に恥ずかしくないように」
こういう言葉も昔の大人はよく言っていました。

お天道様とか世間様とか、なんだか教養を感じない(もっとこどもっぽい語彙で考えていたとは思いますが)言葉だと、生意気な子どもだった私などはそんな風に思っていましたが、年のせいでしょうか、このごろ無性にこうした泥臭くて物分りの悪い大人、口うるさい大人というものが社会にはとても大切だったのではないかと考えるようになりました。そういう大人の存在がもしかしたら学校の先生のことも少し助けていたのかもしれないと、今日のパトロールで考えたりしました。