よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

七人目の孫

数日前に母に会いに行った時、母は私を認識できませんでした。きっと夕方だったから疲れて頭がぼんやりしていたのだ、と自分に言い聞かせて帰ってきました。それで、今日は午前中に出掛けました。少し時間がかかりましたが、だんだん娘だと分かってきたようでした。良かった!

かなり単純な会話しかできなくなってきているので時間を持たせるのも大変ですが、同じことの繰り返しでもいいのでなるべく話を仕向けるように心がけます。そうしているうちに今日は母の口から久々に私の次男の名前が出ました。「○○はまだ帰ってこないの?」と。下の息子が巣立っていって私がひとり暮らしになったということはまだ頭のどこかに残っているようです。そしてもう他の孫たちは存在自体忘れてしまったようですが、末っ子(私)の末っ子である私の次男は母にとって7人いる孫の最後の孫で印象深いのか、あるいは彼の人懐こい性格ゆえなのか、一緒に過ごした時間はいちばん短いはずなのに、いま母の頭にいる孫はその次男で、あとはかろうじて母の頭の霧が薄くて調子のいいときには、その次男にお兄ちゃんがいた(つまり私の長男)ということは思い出すようです。

なあんにもしなくてもみんなスタッフの方たちがしてくださって、長い一日を母はどんなことを思って過ごしているのでしょう。若い頃ぼんやりと時間を過ごすとものすごくもったいないことをしたような気がして、編み物をしたり本を読んだり、とにかく「この時間はこれこれの成果があった」と確認しないと気がすまなかった私が、近頃はとりとめなくぼんやり過ごしても何とも思わなくなってきたように、年をとるごとにボーっと過ごすことに抵抗がなくなっていくのかもしれません。はたで案じるほど本人は苦痛でも何でもないのかもしれません。

ただ、娘としてはできるだけ長く「娘」であることを認識していて欲しいと願うばかりです。