よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

宮部みゆき著『英雄の書』上・下

「カレーライスと宮部みゆきにはずれなし」という言葉をどこかで読んだことがあり、本当にそうだと思っていました。だから今回市民館でこの上下本を見つけた時には、いちもにもなく借りてきてしまいました。

ところが、今回ばかりははずれたようです。いえ、そもそもこれ、ほんとに宮部さんが書いたのですか?という気分です。宮部さんの描く少年はどうしてこんなに魅力的なんだろうといつも思わされました。今回の主人公は少女ですが、その少女がなぜこうも?と思うくらい魅力がありません。生き生きと読み手に迫ってくるものがないのです。キーキーと興奮する時だけ11歳の女の子で、それ以外のときは子どもであることすら忘れてしまいそうです。物語のキーマンである主人公の兄さえもなぜか今回はまるで精彩がありません。

この作品は2009年の出版ですが、2010年に宮部さんは「殺人はもう書きたくない」ということをおっしゃっているようです。思うにやさしい宮部さんは、小説の中でいっぱい人を殺したりすることにとても疲れてしまったのでしょう。それで「英雄の負の側面」と同時に、「お話を紡ぐ者も咎びとである」ということをどうしても書きたかったのではないだろうか、それを書くことで今までの自身の紡ぎだした殺人物語の贖罪をしたかった、ただそのためだけに逆算してこの物語を作っていったのでは・・・と思ってしまいました。

そもそも私が宮部さんを好きになったのは『我らが隣人の犯罪』という、一人も人が死なないミステリー作品を読んだからです。人は死なないけれどとても上質なミステリーになっていました。以前からなぜ殺人を起こさないとミステリーが成立しないのか疑問に思っていた私は、そうそう、こういうのを待っていたんです!ととても嬉しく思いました。その後『龍は眠る』『蒲生邸事件』『火車』などを読んで(人は死にますが)ますます好きになり、江戸物の怪異や人情の話もいいし、超能力を持つ人への優しいまなざしなどなど、守備範囲の広さ、人間を描くうまさなどに惹かれていました。

2010年以降の作品はまだ読んでいませんが、『小暮写眞館』のドラマは好きでした。『ソロモンの偽証』(また人は死ぬようです)も未読ですが、レビューを見ると宮部さんらしい読み応えのある作品になっているようです。市の図書館では3冊とも貸し出し中(第一巻の予約72件!)なのでまだ当分読めそうもありません。

今回の作品は宮部さんの転換点の作品と思って、これからの作品に期待したいと思います。