よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

ドラマの中のリアリティ

先週の『激流』を見ました。放送時間が遅いので録画視聴です。NHK火曜夜10時枠のドラマは結構いい作品が多く、この作品もわりと楽しみに見ていたのですが、回を重ねるごとにつまらなくなってきているように思います。

前々回あたりから旭村先生の登場シーンはシリアスドラマが一気にコント?という展開になりますが、先週の放送分ではさらに興ざめするシーンがありました。自身も殺人容疑で警察に連行され、釈放はされたものの今度は夫が真犯人で逮捕されてしまい、今ままでのセレブ生活から転落してもうどうなってしまうの?という状況におかれているはずの貴子さんが、のんびり他の同級生と一緒に旭村先生が入院している高原の病院を訪ねているのです。

こどもはどこに預けたの?釈放されたあと友人の家に身を寄せていたくらいだから、頼れるような身内もいないんでしょ?どうしても彼女も行かなければならない必然性もないし、あのシーンで貴子にはセリフもアクションもなかったので、いなくても成り立ったように思います。原作や脚本がどうであれ、演出の段階で彼女を抜くことはできなかったのでしょうか。

ドラマにおけるリアリティの考え方にも人それぞれ意見があることでしょう。私はそもそもフィクションなのだから、設定やストーリーが現実離れしているのは全然気になりません。むしろ現実にはありえないようなお話で夢を見たり、憂さを晴らしたりできたら楽しいと思います。ですが、そうしたフィクションの世界で楽しく遊ぶためには、細部がきちんと現実的に描かれていないとたちまち魔法が解けたように冷めてしまいます。

かつて『ゲゲゲの女房』でしげるさんがお茶をもとめると、奥さん役の女優さんがそのシーンの最初からずっとテーブルの上に置きっぱなしになっていた急須を手にとって、そのまま湯飲みについで(それもほんのちょっと)渡しました。ええっ、それ飲ませちゃうの?冷めてるよ、たぶん苦いよ、だんなさんを愛してないのね・・・と急激に冷めてしまいました。そういうシーンならそれでいいでしょうが、その行動で夫を心配するせりふを言っても受け付けられません。『おひさま』でもヒロインの出産シーンであまりにも陣痛の痛みに大騒ぎして挙句の果てに「おかあさ〜ん!」って、あの時代の普通の日本女性ならあんな子どものような騒ぎ方はないでしょう。そうしていったん冷めてしまうと、残念ながらもう物語世界に入り込めなくなってしまいます。

演技が残念という場合もありますが、それよりむしろ脚本とか演出の問題ではないかと思うことが多いように思います。


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NHK火曜夜10時 今までで印象に残っている作品

良かった!
 天使のわけまえ
 四十九日のレシピ
 十年先も君に恋して
 下流の宴

まあまあ
 つるかめ助産
 八日目の蝉
 シングルマザーズ
 マドンナ・ヴェルデ
 いつか陽の当たる場所で