よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

宮本輝著『睡蓮の長いまどろみ』上下

前回の重松さんの時「またこの作者の本を読んでみたいと思った」のと反対に、今回は「宮本さんはこれで終わりにしようかな」と思ってしまった。

今まで何冊か読み、ちょっとヒロインの女性に苦手なタイプが多い気はするけれどもまあまあ好き、『草原の椅子』(最近映画化されたようですが映画は見てません)などはかなり感動したことを覚えています。

上巻を読み終えたときには「もう下巻読むのよそうかな・・・」とさえ思ってしまいました。尋常でない神経の人ばかり出てきて苦しいし、あやうい雰囲気がずっと張り詰めていて、読んでいて気分が悪くなりそうだったのです。でももしかしたら下巻を読めばスッキリできるかもしれないし、このままモヤモヤした気分も嫌だしなと気を取り直して下巻まで読みきりました。

結果は上巻だけでやめないで良かったとは思いましたが、スッキリしたかと言えばあまりしたとも言えません。「因果具時」という言葉に励まされ良い結果のために良い種を蒔こうと、自らの過酷な運命を切り開いていく主人公の母は凛とした強い女性だと思いますが、それだけに物語の始めの方で彼女が生き別れていた息子に対してした行為があまりにも思いやりや思慮のないものに思えます。ミステリーを盛り上げるための整合性のない作為のように感じてしまいます。同じ母である身にはとても頷けるものではありません。

主人公の育ての母である人が「大阪の明るいおばちゃん」を装いながらなかなか細やかな配慮と人情の人で、この人が私にとっては救いでした。宮本さんが好んで描く「美人で繊細で薄幸な女性」より、私はこの養母のようなタイプの人のほうが好みです。

そして生みの母のその行為以上に受け入れがたかったのが、主人公の性癖です。隠れ家にしていたアパートをひき払うことや、自分を捨てたと思い込んでいた生母との関係修復などでそれに決別してくれるのかと期待したのですが、最後の最後までひきずりました。同僚の今井という男性に、「幼児のときに母親以外の者に育てられた人間は、性的倒錯の芽をつねに持っている確率が高い」という言葉を言わせているので、そのあたりも作者にとっては大切なテーマなのでしょうけれど、どうして長い物語の最後をこのように締めくくらなければいけなかったのか・・・残念に思いました。