よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

つかの間の息子とのおしゃべり

近くの市まで出張に来たからと、長男が仕事帰りに寄ってくれました。昨日は仕事の後遅くまで飲み会だったので来られず、今朝早く出張先を発ってうちに9時頃に着いたのですが、あいにく今日は私の自治会の仕事が昼も夜も入っているため、ほんの3時間ほどの滞在でした。今年は更正保護女性の会などを引き受けたためとても自治会の仕事の入る日が多いのですが、さすがに昼夜ともにという日はめったにないのに、こんな時に限ってこうなる、人生は皮肉なものです。

それでも息子の元気な顔が見られ、たった3時間でも話ができてとても楽しかったです。いつの間にか長男は、思春期真っ只中とその入り口に立ったばかりという2人の息子を抱えて私が新しい人生へと踏み出した年齢になっています。考えもせずに走り出し行き当たりばったりの母を反面教師にして、長男は思慮深く慎重な危なげのない人間に育ったようです。保護者、被保護者の関係ははるか昔に逆転してしまっています。3人の生活になってから長男は自分が家の中の男手としての役割を担わなければと思ったのか、すすんで力仕事、汚れ仕事を引き受けてくれて、私はお気楽な片親家庭の母でしたが、長男にはずいぶん大変な思いをさせてしまいました。

この間市民館に行ったときに『少年A、なぜ精神は壊れたのか』という本を見つけ借りてきました。犯罪を犯してしまう人間がどのように(特に幼少期)育ったのかに関心があり、専門家の目を通した見方を知りたいからですが、その本を読んで思うことがありました。舅姑と同居するようになったとき長男は4歳だったのですが、その長男に舅が必要以上に厳しくあたりました。あまり子ども好きな人ではなかったし昔気質の気位の高い難しい人だから・・・と思っていましたが、それは生意気な嫁(つまり私)に対するうっぷんが、無意識にかもしれないけれどお母さんっ子だった長男にぶつけられていたのかもしれないのです。(次男に対しては猫っかわいがりしたのもそう考えるとうなずけます)この本の著者の心理分析によれば、息子が中学生の頃普通を少し外れるくらい潔癖症なところがあったのは、そうした祖父の厳しさが影響していたのかもしれないようです。私はそんな頃から長男に余計な苦労をかけていたのかもしれません。

今も長男は、出かける時は戸締りや忘れ物がないかを入念にチェックしていつも一番最後になってしまうのですが、これも厳しい躾を受けた人によくある傾向なのだそうです。でもそんな息子を嫁は、注意深くてこちらは安心できるのでいいと肯定的に受け止めてくれるので救われています。もしそういうところを煩いとか細かいとか否定的に言われたら、私はもっと息子に申し訳なく思ってしまうでしょう。

あとになればもっとああすれば、こうしていたらと、若かった自分の至らなさに悔いはとめどなくありますが、そのときの自分はそれなりに一生懸命で精一杯だったのだから許してもらうしかありません。いつもながら息子一家が親子3人仲良く暮らしているらしいことが話のはしばしからよく分かり、嬉しくありがたく思います。

夏休みにはまたみんなで賑やかにおしゃべりできることでしょう。楽しみに待つことといたします。