よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

子どもの貧困問題

少し前にニュース番組で立て続けに「子どもの貧困」について耳にすることがありました。こどもの日関連で取り上げられたのでしょうか。だとすると、訴えていたことも実にステレオタイプな内容でしたが、報道するタイミングもまるで安易なものだったのだのだなと思います。

日本は先進国の中ではきわだって子どもの貧困率が高いのだそうです。大半は女親の一人親家庭です。つまり女性の労働環境が悪いということです。複数の番組を見たのですが、どちらも訴えていたのは「家庭の経済状態で教育の機会が不平等にならないよう、高校や大学の学費の公的援助を充実させるべき」というものでした。高等教育を受けられないことでまた貧困の連鎖が起きるというのです。

本当にそうでしょうか。アベノミクス効果とやらでほんの少し就職状況も改善されてきたのかもしれませんが、ついこの間まで「就職氷河期」とか言って大学生の就職の大変さをひっきりなしに報道していた同じニュース枠で、まるで大学さえ出ればリッチになれるかの言い方に私は違和感を禁じ得ませんでした。

だいたい本気で大学まで行きたいと思えば、それほどお金をかけずに行くことはできます。お金をかけなければ入れない程度の学力なら、早いうちに別な道を考えた方がむしろ食いはぐれがないでしょう。十代のうちに(できれば15歳くらいから)始めなければ、身につけるのが難しくなることはたくさんあるようです。

私自身60余年生きてきて、義務教育で学んだことは本当に人生の土台だと実感することが多々ありました。小学校と中学校で学んだことがしっかり身についていれば、何歳になろうと学びたいと思えばいつでもどんな状況でも自分でいくらでも学ぶことはできます。問題はその大切な人生の土台となる義務教育での学習内容さえ理解できないまま落ちこぼれて(本当は落としこぼされていく)子どもたちがいっぱい居るということです。

もちろんスウェーデンのように大学まで教育費が一切かからないという国もあります。そのかわり収入の半分は税金です。消費税を上げるたび政権党が選挙で負ける日本(政治が信頼されていないということもあるでしょうが)ではとても無理なことです。いまや国の借金も恐ろしいような額になっているし、なんでも国に、国に、と言ったって国のお財布も無尽蔵にお金が出てくる訳ではありません。

限りある財源なのですから、効果的なところに効果的に使ってあとは自助努力をするという覚悟を説くことも必要です。マスメディアもすっかり思考停止で、こういう問題はこういう方向で扱えば問題が少ないとか、大衆の味方のふりができるとか、当たり障りのない報道ばかりです。

今日のクローズアップ現代では子どもの居所がつかめないという問題を扱っていました。学齢に達した子どもが当該地区の学校に入学しなくても誰もそれを把握していなくて、むざむざ親の虐待で死なせてしまったりしているというのです。児童相談所の人員を増やすとか、小学校の一クラスの児童数を少なくする、先生を増やして雑務の負担を減らす・・・など、義務教育の充実に集中的にお金をかけたらどうでしょう。中途半端にあちこちに財源を当てて、分数計算もできない大学生を大量につくっても本人も貧困に陥る危険性が高いし、国にとっても財産と言える人材にはならないでしょう。