よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

給食どう思いますか

給食で悲しい事故が起きてしまいました。亡くなったお子さんやご家族はもちろんですが、当事者となってしまった先生もお気の毒な気がします。

私が小学生の時、始まってまだ間もなかった学校給食の恩恵を受けましたが、飽食のこの時代、もうそろそろ給食の役目を終えてもいいのではないでしょうか。正月に息子一家が来た時、私のこの考えを言ったところ、働く母親である嫁は即座に弁当作りが大変だと言いました。嫁は料理が好きなほうですので、不得手な人ならなおさらそう思うことでしょう。近頃は「キャラ弁」などというものが話題になって、ただでさえ大変なお弁当作りが更に大変なことになっていますが、もっと簡単なお弁当でいいし、時にはアメリカの「食パンにピーナッツバターを塗っただけ」くらいの手抜きもアリというほどの気楽なお弁当で考えてはどうでしょうか。学食のようなものも設置されればなお親御さんたちも助かることでしょう。

食育とか言って、食べることに関するしつけまで学校に任せようとしていますが、やはり食事は生活の基本であり、本来家庭が分担すべき部分です。生活に困窮しているわけでもないのに給食費を滞納する保護者の問題や、今回のような不幸な給食による事故の問題からも教師を解放することができます。

なんでもかでも「みんないっしょでなければ」という呪縛を解きましょう。そもそも人間はひとりひとりみんな違うし、社会というものは所詮不平等なものです。そうしたみんなバラバラななかで、さまざまなことにどう対処するかというところに人間性が出るわけで、そういうことを教えることこそが教育なのではないでしょうか。無理に「みんないっしょ」「差をつけない」(いまや運動会のかけっこも一等とか二等とか付けてはいけないとか)と教えるところに軋みが出てくるということもあるのではないかと思います。