よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

『下山の思想』を読みました

五木寛之さんの作品は殆ど読んだ記憶がなく、今までの作品がどのようなものなのか分かりません。この本に限って、率直に感想を言えば、「なあんだ」という感じです。新聞の書評欄に載っているのを見て、時宜も得ていると思ったので読んでみる気になったのですが、大した推敲もせず時期を失わないように大慌てで出したという感がありありで、とても残念でした。活字離れだとか、出版不況とか言われて久しいですが、こういう本を著者のネームバリューや時代の気分頼りで安易に出版している儲け主義の出版社の責任も、とても重いのではないでしょうか。

私などから上の年代が「下山の時期」と自覚し、ただ暗い気分になるのではなく、眺めを楽しみつつ次の山に思いを馳せるのはいいとしても、若い人たちのことを考えるとかなり物足りない内容ではないでしょうか。『思想』と銘打つからには、もう少し社会と個人のありようにまで話が広がると期待したのですが、広がりそうで広がらず、後半にいくにしたがって年寄りの独りよがりや繰り言っぽくなって、肝心な締めの文章が『ノスタルジーのすすめ』で唖然としました。蛇足にもならない(蛇足はそれまでが価値あるものだったとき)付けたし枚数稼ぎ以外の何物でもない感じで、読後の気分をいっそう悪いものにしています。

日本のような小さな国が世界で二番目の経済大国になったことが奇跡で、奇跡は長く続くものではない。この国の身の丈にあった国力で、お金だけではない価値を大切にし、自殺者が12年連続で3万人を超えるような状態から抜け出そうという考え方は私もかなり同感ですが、ハンディキャップのある人、弱い立場の人がきちんと権利を守られて不自由なく暮らすためにも、社会は豊かでなくてはなりません。大震災からの復興、原発、世界一の大借金財政といった難しい問題と闘いつつ、そうした犠牲となる人の少ない社会をいかにして創り上げていくのか、そのあたりへの言及を期待したのですが・・・。

60代以上は程度の差はあってもとにかく勝ち逃げできる世代です。登山だろうが下山だろうがお好きにやってください。問題は子どもたちや孫たちの未来です。戦争は確かに大変な経験だったことでしょうが、でも人間にとって一番辛いのは希望が持てないことではないかと思います。働きたい若い人がきちんとした仕事につけて、結婚し、子どもを育てるという生物として当然の営みが、普通の努力の下に叶う、そんなごく当たり前の社会が妙に難しいことになってしまっている現代、年配者は社会保障費をいっぱい使って守られているばかりの存在であってはならないはずですし、現代の高齢者は十分その重要な任務が果たせる人材の宝庫でもあると信じています。