よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

『曲がり角の日本語』を読みました

帯に「その言い方とかってやばくない?」とあって、これは読まなくちゃと思いました。著者は『岩波国語辞典』編者の水谷静夫先生です。途中文法の専門的な話の部分は少々難解でしたが、日々私が日本語について感じていることとかなり重なっていて、おおいに共感納得する内容でした。

お飲み物とかお持ちさせていただいてよろしかったでしょうか。(これはもうあっちでもこっちでも・・・)

お熱計ってもらってよかったでしょうか。(病気で入院した時、看護師が)

水谷さんのお宅で大丈夫でしょうか。(先生のお宅にかかってきた電話で)


有名料理店の広告「厳選された旬の食材を極上の胡麻油で揚げた本格江戸前の天ぷらがいただけます」に、

店の方が偉いのか、こういううまい天ぷらを押し頂いて食いやがれと言っているのか、

と書いているのには溜飲の下がる思いです。私も日ごろ買い物をしながら「冷やすといっそうおいしくいただけます」なんて書いている商品はいくらおいしそうでも買いたくなくなるくちですから。

国会での大臣答弁。
「この政策を強力に推し進めて景気が好転したらいいかなと思います」
おいおい、もうちょっと自信と熱意を持って仕事してよ!ですよね。

ただ、この本で著者が言っているのは、こうした一つ一つの間違いではありません。言葉が時代とともに変化することは今までもあったことだし、うまく運べば自浄作用も働く。教育の力もあってしかるべきだが、その国語教育が誠によくない。更に言葉をいじくっている連中が、日本語をどういう方向に持っていったらいいかを、真剣に大局的に考えていない。言葉のだらしない使い方に安直に流されて、断たなくてもよかった過去とのつながり、すなわち伝統を、異質なものとして捨て去ってしまうことを心配しています。これが避けられるなら、言語は移り変わってもよいのです、と著者は言います。
「みなさんは曲がり角をどちらに行こうとなさるでしょうか」と締めくくっています。

私は通じさえすればいいとも、ただ簡単になればいいとも思いません。言葉が思考を作り、人を作るのです。深く細やかで美しいものであり続けて欲しいと思います。