よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

いよいよ年の瀬

2011年もあと2日を残すのみとなりました。今年はなんといっても東日本大震災、日本そのものを揺るがす大事件でした。せめて原子力発電所の事故がなかったら、もっともっと復興は進んでいたでしょうけれど、いまだに岩手、宮城の瓦礫さえ東京都と島田市しか引き受けに名乗りを上げるところもなく、瓦礫が片付かなければその先の復興も思うように進まないことだろうと気にかかります。普通の日々を失って苦しむ方々を思うと自分の問題などちっぽけなものですが、それでも、やはり私にとってもいろいろなことのあった一年でした。

この何年か社長のパワーハラスメントと戦ってきたけれど、還暦を迎えるのを機に会社勤めに終止符を打って、もう一度母を引き取り、ふたりで穏やかな日々を送ろうと決心。予行演習をと3月の連休に我が家に母を一泊させたところ、以前一緒に暮らしていた頃よりはるかに状態が悪くなっていて、もはやとても私ひとりで介護できる状況ではなく、静かな暮らしは断念せざるを得ないことを思い知らされました。

母の年金でひっそり穏やかに暮らす日々は夢破れたけれど、それでも会社はもう続けられない、どんなに貧乏してもプライドをずたずたにされる生活は嫌だと思い辞表を提出しました。すると常々誰が辞めると言っても決して引き止めない、俺の言うことが聞けないものはいつでも辞めて結構!と公言していた社長が、皆には内緒で辞表を返してきました。今後は言動も改めると言うので、実行されなければまたいつでも辞めれば良いからと思い、続けることにしました。それから9ヶ月、いまだに社長は私に対して非常に気を使い続けているのが分かります。


2月、兄が母の後見を放棄したらしいことがわかり、再び私に責任が降りかかって来ましたが、そのお陰で兄に遠慮することなく母の状況改善に取り組むことができるようになりました。友人の医師の助言もあって足もみマッサージを取り入れ、半年以上使用していた車椅子がほぼいらなくなるまでに改善しました。5月6月は遠い友人の病院までタクシーを使っての通院で苦しい思いもしましたが、マッサージを取り入れてからの劇的な母の快復に苦労が報われ、結果的にこれは今年の嬉しい事件になりました。


会社のこと母のこと以上に今年私の心を占めたのは、次男夫婦の問題です。私自身ががんばってどうこうできるものではないだけによけいに苦しいのですが、今はただ嫁の病気の平癒と、次男が強く人生を切り開いて行ってくれることを祈るばかりです。


長男一家は順調でありがたいことと思っていたのですが、年の終わり頃になって孫がジャングルジムから落ちて両手首骨折という事件が起きてしまいました。元気の有り余る孫はそれでも相変わらず元気で、結構器用に自分で大概のことはしているというから驚きます。折悪しく水疱瘡にもかかってしまい、お医者様から外出の許可が出ないので、今年のお正月は家で過ごさざるを得なくなったということで、今年の私の年末年始は静かなものになりそうです。ちょっと寂しいけれど、1月の半ばには孫にも会えそうなので、それを楽しみに待つといたしましょう。

それではみなさま、どうぞ良いお年を・・・。