よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

立っているものは親でも使え

孫が来ていた先日の日曜日の朝ご飯の時のことです。息子がご飯おかわりというので私が立ってよそっていました。続いて嫁もご飯を食べ終えたので、「おかわり?」と聞くと「ええ、でも自分で・・・」と言うので、「いいのよいいのよ、ついでだから。立ってるものは親でも使えって言うしね」と嫁の分もよそいました。

それを見ていた孫が「ふーん。立ってたら親を使っていいんだね」と、ちょっとニヤッとして言います。するとすかさず息子が「やたら使っていいってことじゃないんだよ」。それで私も「親を使うなんてとんでもないことだけど、急を要する時に、ちょうど都合のいい場所にいてしかも立っている場合などは、お願いしても許される、ということで、親は畏れ多いものだからこそ生まれた言葉なのよ」と付け足しました。

うちの親はこういう言葉をよく日常の会話の中で使いました。そう私が言うと、嫁がうちの親も言ってましたと言うので、やはり我が家だけのことではなく、少し前までの大人たちはこうした諺や慣用句のようなものをよく使っていたのだと思います。特に勉強しなくても、親から子へと日々の豊富な会話のやりとりのなかで伝えられ身につけていったのだと思います。

いまや一つ屋根の下に暮らす家族でも、生活時間がばらばらで食事も別々、顔を合わすこともなかなかないということも珍しくないでしょう。豊かな言葉が家族間で交わされることも少なく、まして父親に敬語を使う家庭など絶滅寸前でしょうから、敬語が身に付くはずもありません。私自身、自分が親から教えてもらっただけのことを我が子に伝えきれたかと問われれば、とても自信がありません。知恵袋を持ったおばあちゃんにもあまりなれそうもありませんが、次の世代に知恵や文化を引き継ぐ大人の役目、大切に考えなくてはなりません。


通勤途中で時々出会える子。