よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

愛を読む人

例によってGyaOで「愛を読む人」を見ました。「タイタニック」のケイト・ウィンスレットがアカデミー主演女優賞を獲得した作品です。原作も読んでいなければ、物語について何の知識もなく見ました。


終盤から涙が止まらなくなり、終わってからもしばらくかなり激しく泣いていました。猫さんたちがドシタノ?って顔で私を見つめていたくらいです。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を映画館で見たときも周囲に恥ずかしいくらい泣いてしまい、帰る道々も泣いていましたが、あの時以来だと思います。

その涙はどこから来たのか。これもまた「ダンサー・・・」の時と似ている感じがします。単にヒロインに同情したというのとも違う、もっと深いところのやりきれなさとか不条理といったものが、胸に迫ってきたためのように思います。

悲劇の一番の元凶はやはり戦争でしょう。平常では考えられない行為を人間にさせてしまう戦争というもの。ただ彼女は職務に忠実であっただけなのに。裁判でも、自分に忠実で正直であっただけなのに。でもまた、罪を軽くしたくて嘘の証言をしてしまう、彼女の同僚たちを誰が責められるでしょう。人が人を裁くということの危うさ。まして戦争という極限状態での行為を、末端で実際に任務に当たったひとりひとりの人間に問うことの不条理さ。

おそらく生まれや育ちの不運という自分の責任の及ばないところで背負わされた重荷。それでも強い矜持を持って懸命に生きる女性と、恵まれた家庭に生まれ十分な教育を受けエリートとして生きる男性。彼は彼女を重い戦犯の罪から救えるカードを持ちながら、それを使いませんでした。それは彼女のプライドを守る愛なのか、自分のプライドを守るエゴなのでしょうか。

彼女が刑を終えて釈放される時になって、たったひとりのつながりのある人間として連絡を受け面会に行った彼の態度は、なんとなく距離を感じさせるものでした。抱きしめるでもなく、思いをこめて手を握るでもなく、「仕事と住むところは用意できる」なんて言う・・・。

彼女は感じ取ったのだと思います。だから自らの運命の物語を終わりにした。女は現実的に生きるけれども愛にはロマンを求める。男はロマンを求めて生き、愛には現実的。


スケールの大きさやCGを使った奇想天外な画面やさらに3Dを売りにする作品が多い中、この「愛を読む人」は地味で苦しいものを突きつけてきますが、深い余韻の残る秀作でした。