よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

プレペットロス症候群

いえ、我が家のおばあさん猫たちは元気です。ドリームのお腹のただれも何とか落ち着き、つつがなく暮らしております。

いなくなったのは会社の隣のビルのエントランスにマイホームを構えていた半ノラ猫ちゃんです。もう半年以上になりますが、いまだに喪失感が消えません。5年来の友でした。

隣の雑居ビルの入り口に、ダンボール製だけど三角屋根の洒落た猫の小屋があると会社の人から聞いて、どれどれと見に行ったのが始まりでした。それから毎朝その小屋を覗き、その時間たいてい彼女は小屋の中で寝ていたので、おはようと声を掛けて少しかまってから出勤。これを何日も続けるうちに彼女は私を友人と認めてくれたようでした。

そのうち銀行や郵便局に出掛ける私を見つけると、彼女の方から「○○さ〜ん」(もちろん猫語で)と呼びかけ、走ってくるようになりました。ひとしきりなでなでして「じゃ銀行行って来るね」と別れようとすると、お腹を出してゴロンとして「まだ行かないで」とばかり甘えます。とても人懐こくて可愛い性格でした。だから私以外にも近所の人やいつもその道を通る人、大勢の人に可愛がられていました。

その猫ちゃんの姿を見なくなったのはまだ寒い頃でした。大震災より前なのでもう7ヶ月以上になるのだと思いますが、いまだに銀行に行く時など、つい彼女の「○○さ〜ん」と駆け寄ってくる姿がないかと周囲に視線をやってしまっている自分に気付きます。彼女がよくいた駐車場の前を通る時は、ひとわたり探さずにはいられません。

そして、やっぱりいない、二度と彼女の愛らしい姿を見ることはできないのだろう、と確認させられるのです。


ペットロス症候群っていうのはこんな感じなのかなと思います。子どもの頃も結構いろいろ生き物を飼う家だった(小さな家だったのに)ので、猫も犬も二十日鼠も小鳥も飼ったことがあります。猫はあまり記憶にないほど小さい時でしたが、犬が死んだ時は小学校の高学年でしたから、悲しかった記憶はあります。でもやはり子どものこと、遊びや友達やほかの事にまぎれてしまったのか、あまり長い喪失感の記憶はありません。

私の飼い猫でもない単なる顔見知りの猫だったのに・・・。考えたくないけれどうちのお婆さん猫たちとの別れの時を考えないわけにはいきません。まあ、考えたって案じたってその時は来るし、前もって考えてどうなるものでもないんですけどね。

私の気持ちも知らないで二匹はソファでくっついて寝ています。