よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

美しき停滞

日本経済新聞サイトのコラム「未来面2011」で読者の投稿を募集していて、その中に「世界が行きたくなる日本を始めよう」というテーマがありました。大震災を乗り越え、この国をどう作りかえればよいか、というのです。その問いかけに対してのたくさんの投稿の中から何人かの考えが掲載されていたのですが、その中に私が心惹かれる意見がありました。

ソウルの34歳の翻訳業の方のもので、日本は世界的に見ても十分にいい国で、ずっとこのままでいて欲しい。先が見えないということはむしろ完成されていることの裏返しで、司馬遼太郎さんも言っているように、「美しき停滞」でいいのではないか、という内容でした。

私も大筋でこの方の考えに賛成です。もちろん被災地の復旧復興は大前提ですし、基本的人権で保障された生活さえあやういような方々に対しての手は打たれなくてはなりませんが、国全体の生活レベルはもう十分なところに達したと思います。これからは生活のレベルは変えず、いかにエネルギーや資源の使い方を持続可能なものに置き換えていくか、ということに力を注いでいくべきだと思います。

それと間違えてならないのは、「停滞」はこのまま何もしないということではないという点です。商売も同じだと思いますが、大きくしなくてもいい、いまの売上げで十分だからといって、宣伝も営業活動もしなくなればジリ貧あるのみです。このあたりの匙加減が難しいところですが、必要以上に大きくしようとせず、現状の良い点を保ち悪しきことのみを改革していくことに、官も民も知恵を絞り力を合わせていったら、暮らしやすくまた外国の人たちにとっても魅力的な東洋の神秘の国であり続けられるのではないでしょうか。


お母さんの指チュッチュ、あたしは赤ちゃんで停滞。