よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

食べれる、着れる・・・認めれる?

「認めれる」はもちろん冗談です。私は認められません、標準語としては。と言いますのは私の住んでいる地方の言葉では「食べれる」「着れる」は別に間違いでも「ら抜き言葉」でもなく、昔から使われている正しい方言です。それでも、テレビでアナウンサーやタレントが標準語の中で使うと汚いな・・・と感じてしまいます。

今日の読売新聞の編集手帳によれば、「です」は「でげす」のつづまったもの、「おっしゃる」は「仰せられる」のつづまったものとのことで、いつの時代も言葉にうるさい人や年配者は新しい言葉遣いを嘆いているのだそうです。

「だらしがない」も「しだらがない」の誤用が定着したものとか、「独壇場」は「独擅場」の真ん中の字が似ているため書き間違ったり、また「擅」の方が当用漢字ではないこともあって「壇」になり、音まで「どくせんじょう」から「どくだんじょう」に変わってしまったものだと言われます。このように言葉は変わっていくものなのだから、目くじらたてなくても・・・という意見は専門家の方の中にもあります。

それでも私は気にします。感覚的にイヤなものは嫌です。そして不快に感ずる感覚が鈍っていくことを恐れます。だから日々洪水のようにテレビから垂れ流される乱れた日本語に、しつこく拘り続けていこうと思います。

それにしても、「ら」は抜く、「さ」は入れる、短くしたいんだかしたくないんだか・・・。
やらさせていただきます
書かさせていただきます
歌わさせていただきます  うう、ゾワゾワゾワ・・・。