よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

天声人語書き写しノートとやら

・・・が売れているんだそうな。(今頃知ったのかいってお思いの方も多いことでしょうが)今まではちょっと年配の人が多かったが、夏休みになって宿題としての利用か、小学生や中学生が買っていくことも結構あるというようなことをインタビューで店員が答えていました。

びっくりというか、半ばあきれたというか・・・。私も高校生の時(45年も昔)先生に受験対策として天声人語はよく読むようにと言われましたが、いまだに大学受験にこのコラムの文章なんかが使われ続けているのでしょうか。そしてあちこちで話題になるほど購入して使っている人が現在でもたくさんいるのですね。私は紙の朝日新聞を読まなくなって久しいので、このノートのことも昨夜のスマステーションで初めて知った次第なのです。

紙の朝日を定期購読していたのはもう10年近く前までのことですが、わざわざ珊瑚を自ら傷つけてまで正義の味方を装う記事を書いてみたり、ちゃんと校正しているのか疑わしいような稚拙な文章しか書けない記者も増え、ばかばかしくなって購読をやめました。今はインターネットのお陰で主要3社のコラムを読んでいますが、天声人語が特に素晴らしいと感じることなどありません。確かに30年とか40年とか昔には、あの短いコラムにしばしば感動させられたものですが。

よい文章を書き写すということは大変重要なことです。この夏休みも多くの小学1年生が感想文だの絵日記だのという宿題をもらっていることでしょうが、ほんの数ヶ月前まで「自分の名前が読めて書ければいいです」(小学校入学時に学校側が求めるもの)という程度だった子が、ひらがなやカタカナを覚えたからといって、いきなり感想文や日記が書けるようにはなりません。そんなことで悩ませるより、古今の名文を筆写させるほうが余程教育的価値があると思います。でも、あくまでも写させるのは「名文」です。偉大な画家たちも多くが名画の模写をして学ぶように、名文を朗読したり筆写したりすることで言葉に対する感覚が磨かれると思います。

私も近頃もっぱらタイピング、変換で、たまに葉書一枚書こうと思っても漢字が出て来ず、何度辞書を引くことか・・・。下手な字がますます下手になっているし、筆写でもしたほうがいいなとは思いますが、せっかく写すのに天声人語はもったいないでしょ。別に専用ノートでます目ピッタリじゃなくてもいいじゃありませんか。(これは本来のジャアリマセンカの使用法です)