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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

稼ぐに追いつく貧乏なし

介護

昨日やっと先週の母のマッサージ料を振り込んでヤレヤレと思ったのだけれど、気がつけば今日は木曜日で、またマッサージの方が母のところに行ってくださる日だった。数日前にはグループホームの7月分の請求書も来てたっけ。

グループホームの料金だけでも母の年金では少し足が出る。その他にも診察代や薬代、散髪代や行事で外出した時のお弁当代など、日常のこまごました出費用に時々ホームの方に現金を預けなくてはならない。その上このところ1回1万円以上のタクシー代をかけて友人のクリニックを受診したり、マッサージの方にも1ヶ月数万円の支払いが生じている。私はなぜか働いても働いてもその時々に何かしら私の稼ぎを必要とする状況があって、自分のためにはあまり使わないのにもかかわらず余裕の生まれる時がなかなか来ない。

まあ、それでも還暦を過ぎても働き続けられる場所があって、働ける程度の健康があってなんとかやりくりでき、誰かを支えられるっていうのは幸せなことだよねって思う。末っ子でしかも兄弟でも一番親の世話になっていないはずなのに・・・とも思っちゃったりするけど、そもそもしきたりや付き合いの面倒な旧家の長男の嫁になったはずが、運命のいたずらでその役割を放棄することになり、その代わりが自分の母の世話だとしたらありがたいくらいだ。自分の嫌な面の濃縮版を見るようでついイライラしがちだった母にたいして、今やっと、一般的に子が親に対して持つであろう優しい気持ちで接することが出来るようになって嬉しく思っている。これは母が長生きしてくれたからこそだし、姉が、母を引き取ってほしいと言う私の願いを拒否してくれたからこそ生まれた状況で、今となってはそれらの成り行きに感謝しなくてはいけない。(母自身にとっては、今でも姉のところで過ごす老後が一番幸せだったのでは・・・と思うが)

昔、母がよく言っていた。「稼ぐに追いつく貧乏なし」と。でもこれ、やっぱりサラ金とかのない時代の言葉だよね(今は年収の何割までとかって貸し金に制限が出来たようだけど)。現代では気をつけないとすぐに貧乏に追い越されてしまいそう。私は「入ったものの範囲で暮らす!」がモットー。これなら絶対貧乏に追いつかれることはないでしょう。


人間は大変ね、猫なんて何をしたら楽しいかだけ考えてればいいのよ。