よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

人生とはままならないもの

人生はなかなか思うようにはいかないものです。出世とか大金持ちとかそんな大げさなことではなく、ほんの些細なことでさえ。

私は昭和30年代に4人兄弟の末っ子として子ども時代をすごしました。社会もまだまだ戦後の貧しさを引きずっていたし、下級公務員の父の収入は少なかったようで、まさに当時(もっと昔か)はやっていた歌の歌詞「狭いながらも楽しい我が家・・・」を地でいくような家庭でした。おそらく、一人っ子だった父は自分の家庭を賑やかなものにしたかったのでしょう。当時としては珍しかったであろう「マイホームパパ」で、親子6人夜毎団欒で笑い興じ、休日にはちゃぶ台をつなげてのピンポンや、まだ車もあまり通らなかった家の脇の道でバレーボールをしたりというふうでした。また、家族だけでもいっぱいのような狭い家に常にいろいろな人が訪れてくれて、訪問者も巻き込んでおしゃべりしたりゲームをしたり。その頃の我が家が私にとっても理想の家庭の原型として刷り込まれました。

そんな訳で私も結婚したらいつも人が集まってくる、賑やかな楽しい家庭を作りたいと思っていたのに、東京は職住が離れているためか夫の友人が訪ねてくることは殆どなく、(ご近所はいい方ばかりで私は子育てなどとても助けていただきました)そもそも夫は人付き合いが苦手な人でした。(これは私の選択の間違い・・・)その夫が仕事で行き詰まり故郷に戻るというので、大家族も賑やかでいいか!と思ったのですが、婚家は重苦しい雰囲気の旧家で、嫁の立場たるや旧民法下かと思うほどの状況でした。

そんな訳で直接の家族はもちろん、親戚のおじさんおばさんいとこ、はとこ・・・と賑やかな人間関係の中で子どもを育てたいと思っていたのですが、口数も笑いも少ない家庭となり、あろうことかその家庭さえ壊してしまい、思春期になってから私の故郷に戻ってくることになり、息子たちを根無し草のような境遇にしてしまいました。幸いなことにそれでも息子たちは新しい地で新しい人間関係を結び、よき伴侶にもめぐり合えたりしたので不出来な母としてはほっとしていますが。

そもそも私は専業主婦が憧れだったのですが、なりゆきで働かざるを得なくなり、こどもは最低でも3歳までは自分の手で育てたいと思っていたのに次男は2歳から保育所に預けることになってしまいました。3人以上いなければ複数の兄弟とはいえないとさえ思っていたのに、子どもも2人だけです。

ことほど左様に、人生とはままならないものです。でも、だから、面白いのかもしれませんね。